キャビンアテンダントへの夢:体験談(患者さんの声 近視手術 レーシック)

1983年より近視手術専門医院・切らないレーシック
(旧 参宮橋アイクリニック)

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体験談

キャビンアテンダントへの夢

Filed under: 強度近視 — 参宮橋アイクリニック

右眼 裸眼:0.04→1.0

左眼 裸眼:0.04→0.9

Y・H さん キャビン・アテンダント

<レーシック・フラップレス 術後2年>

データ 裸眼 矯正視力 近視度 乱視度
術前右眼 0.04 1.2 -5.5D -1.0D 1度
術後右眼 1.0 1.2 -0.25D -0.50D 30度
術前左眼 0.04 1.2 -5.75D -0.75D 178度
術後左眼 0.9 1.2 -0.75D -0.5D 149度

『CA(キャビン・アテンダント)は幼い頃からの夢でした。絶対に叶えると心に決めていました。』

しかし、私の視力は0.03、0.05と驚くほどの悪さ。これでは書類の審査でおちてしまう・・・。
小さい頃から見続けてきた夢。「試験を受ける前までに少しでも自分の不安材料を取り除く努力をしよう。」と思い、奥山先生にmailをしました。

検査、手術の説明は無事終了し、手術中は痛みも無く、あっという間に終わりましたが、2,3日は痛みが続きました。

このまま目が見えなくなったら・・・と不安でしたが、1週間経過した頃からぼんやりと文字が見え、約10日後には、朝、目が覚めると天井がはっきりと見え、夢かと思ったときのことを今でも鮮明に覚えています。
それから徐々に遠くの物まではっきりと見えるようになりました。

面接試験には裸眼で面接官の方の前で、思いきり笑顔で自分を表現することが出来ました。その甲斐あって、合格通知を手に入れました!

今では、長期ステイに行くときにかさばるコンタクト用品を持ち歩く事もなくなりました。機内ではコンタクトレンズをしていなくても乾燥で目が乾くものです。

今、改めて思うのは、就職前の自由な時間の取れる大学時代に手術をしておいてよかった事です。コンタクトレンズの無い生活は本当に快適です。

アイクリニックの先生方をはじめ、スタッフの皆様、本当にありがとうございました。これからも目を大事にします!!

母が買った奥山先生の本が人生を変えた

Filed under: 強度近視 — 参宮橋アイクリニック

右眼 裸眼:0.05→1.0

左眼 裸眼:0.02→1.0

長田 香織 さん (ダイビング インストラクター・29歳)

<レーシック・フラップレス 術後8ヵ月>

データ 裸眼 矯正視力 近視度 乱視度
術前右眼 0.05 1.2 -4.75D -2.5D 180度
術後右眼 1.0 1.2 -0.25D -2.0D 177度
術前左眼 0.02 1.2 -7.0D -1.25D 10度
術後左眼 1.0 1.2 -0.25D -0.5D 45度

7月、大阪にて手術を受けました。

近視が治るのを知ったのは、10年程前でしょうか。奥山先生が書かれた本を母が買ってきたのが最初です。当時はRK手術のことが書かれていましたが、手術自体まだマイナーでしたし、切るのは怖いという感想で終わっていました。反面、治るなら何とかしたい気持ちもありました。

私は幼い頃、斜視の手術を2度受けています。初めてコンタクトを購入したとき、乱視が強いので、まず矯正力の強いハードコンタクトレンズは試しましたが、入れると同時に充血してしまったのでソフトコンタクトレンズにしました。それでも、ソフトは黒目より大きめにできていて、白目部分の手術跡にレンズが触れるので、できればコンタクトはしないほうがいい。と言われていました。そして、他の人より目が弱いのだから、何かあったらすぐ外すように。」と。しかし、コンタクトが日常のことで当たり前になり、しかも年頃になるとオシャレもしたいもので、眼鏡はちょっと…と、朝起きてから帰宅するまで毎日15時間程、もしくは丸1日以上装着することもあり、当然目は充血したり乾いたりレンズがずれたり、時には痛みを感じることも増えてきました。

そしてあるとき、いつものようにコンタクトレンズを作りに行くと、「角膜炎になりかけているからレンズを出すわけにはいかない。」と言われ、半月ほど目薬での治療をすることになりました。それでも眼鏡が嫌だったので長時間装着を止めず1年後、また角膜炎と診断されたときに「目が見えなくなってもいいの?」と叱られ、やっと自覚を持ちました。確かにその頃は目が非常に疲れやすく、いつも充血していて、コンタクトを外している間でも目が熱を持った感覚がありました。それからは異常に気にするようになり、仕事は眼鏡、出かける時は眼鏡で、目的地に近づいたらコンタクトを入れ、いつでも外せるようにしていました。でも荷物になるし、石鹸で手を洗えるところを探さなくてはいけないので、これがまた面倒で仕方ありませんでした。夜も遅くなる時には途中で外したりもしていました。冷房も敵で、風が当たる場所は避けるようにし、花粉が飛び交う時期は、コンタクトなんてしていられません。2週間使い捨てのタイプを使っていましたが、それでもダメでした。

過去の話になりますが…
私は旅行が好きなのですが、水道のないキャンプ生活をしたとき、3日日ごろレンズを入れると同時に突然激しい痛みを感じました。ろくに手を洗えないなかでレンズを洗っていたのが原因です。それでも日差しの強い土地で、サングラスが必要だったため一日我慢しましたが、かなりの痛みにさすがに翌日からは諦めて、長旅でガタガタになり、すっかり度も合わなくなった眼鏡を掛けることになりました。結果、目は次第に日差しにやられて真っ赤になり、熱をもってしまいました。その後もしばらくは痛みがとれなかったのに、病院もないので不安を抱えたまま、旅を続けました。

他にもダイビングをしますが、これもコンタクトレンズだと厄介です。マスクの度付きレンズも売られていますが、マスクを外すと何も見えなくなってしまい、船上では危ないので結局コンタクトをして潜ることになります。でも、もし水中でレンズがずれたり乾いたり、マスクが外れたりしたら…?幸い、そういったことはありませんでしたが非常に危険です。また、ダイビングは朝が早いので、午後は一度ホテルに戻り、眼鏡に掛直したりと、面倒でなりませんでした。せっかくの旅行も常に目のことを心配しながらなので、完全に楽しむことはできません。荷物を少しでも減らしたいのに、洗浄液などは液体だから重いし邪魔だし、時には滴れて服を濡らしてしまうこともありました。

以前、ボディーボードをしようと一式揃えて海に入り、思ったよりも高くパワーのある波にもみくちゃにされ、目が開けられず、気づくと沖のほうに流されていて怖い思いをしたこともあります。それっきり、私のボードは部屋の片隅で眠っています。

デイリータイプのコンタクトにしたかったのですが、乱視用レンズは割高で手が出ませんでした。最近では眼鏡も安いものが出回っていますが、乱視の度が強く、安い眼鏡のレンズでは見え方に歪みがあるので、結局は何万もする高い眼鏡を買わなくてはなりませんでした。このまま常に目のことを考え続ける生活が一生続くのかと思うと嫌気がさし、また、金銭面でも手術代は一度に出ていく金額が多いけれど、長い目でみるとやってしまったほうがいいように思え、やはり思い切って手術を受けてみようかという気になってきました。でも、その前に体験者の話が聞きたかったのです。

去年、知人を訪ねてハワイのマウイ島に行きました。アメリカでは、MIC法がメジャーで、家のポストにも広告が入ってくるほどなので、気軽に受ける人が多いようです。値段も日本の1/2~1/3ほどです。痛みも無く、数時間後には見えるようになるというので、マウイ島のダイバーは手術翌日から仕事でみんな潜っているとのことです。ただ、受けたうちの一人はドライアイがひどく、朝、渇きで目を開けられないのでスプレーの水を顔にサッとかけて目を覚ますと言っていました。また、早い人は30代から老眼が始まるというので、それだったらせっかく受けても最悪の湯合、数年ではあまり意味がないと思いました。しかも、やはり切ることに抵抗がありました。

実は以前、他の国に行ったとき、値段も安いと聞き、一瞬、帰りに受けて帰ろうかと考えたくらいです。でも、なんせ眼のことなので英語でのやりとりは不安だし、何かあったときに「先生、診てください。」とすぐ行くことは不可能だし、経験者はそれを教えてくれた人のみだったのでやめました。日本でも手術法は知りませんが治した方がいて、彼女は痛みが激しく、3日間大暴れしたと言っていました。それでも受けてよかったと言います。

そして、次にネットで調べ始めるようになりました。ほとんどがLASIK法で、値段もまちまちです。この方法しかないならこの中から選ぼうか…と思っていたら、ネット上で、奥山先生に再会したのです。しかも、切らなくていいとなると行ってみる価値はあると思い、いてもたってもいられず、すぐ検査の申し込みをしました。

不安材料は2つ。斜視の手術を受けていること。角膜炎になりかけたことです。角膜に傷があると手術が受けられないと聞いたことがあったので、その場合、諦めるしかありません。結果、手術を受けることはできる。ということでした。10年来の夢が叶った、と言っては大げさかもしれませんが、とにかく、早く治したい!という気持ちが高まりました。ただ、何度聞いても痛いし、徐々に視力があがって、どのくらいの度を得られるのかは、大体でしか分からず、やってみないと分からない。とのことです。先生は私の質問攻めにも丁寧に答えて下さったし、いいことばかりを強調するようなこともなかったし、その先生もご自身も手術を受られたとのことだったので、少しは躊躇しましたが、信じてみよう。と思えました。ここでやらないとまた何年もやらずにおわり、また面倒な日々が続く。2・3日つらいのを我慢すれば一生楽になれるんだ。と思えば痛いのも耐えられるような気がしたので、勢いが大事と思い、1番早い手術日はいつですか?」と質問して、逆に「もっと考えたほうがいいですよ。」と言われてしまいました。
でも、早まる気持ちを抑えきれず、翌日には一番近い2週間後に大阪まで行く予約をしていました。片目ずつでもできるそうですが、大阪まで2度も行くのは大変だし、痛かったら片方はやりたくないと言い出しそうだったので、両目いっぺんに受けることにしました。

当日は、じきに眼鏡・コンタクトとさよならできると、旅行気分でウキウキしながら大阪に向かいました。行くと間もなく検査が始まり、名前を呼ばれるたびに、いよいよかとドキッとしつつも検査を終え、術後の目薬の説明を受け、最後に奥山先生のお話があり、いよいよです。

前の人の様子を見ていたら、髪の毛が燃えたときのような焦げ臭い匂いがしてきました。そこで初めて自分がとんでもないことをしようとしている気がしましたが、逃げる間もなく、すぐに自分の番になってしまいました。診察台に上がり、器具で両目を見開いて、レーザーから目を反らさないように言われたので、必死で緑色の中の赤い光を見つめました。実際は数十秒なのでしょうが、思っていたよりも時間が長く感じましたが、無事、終了しました。緊張で喉はカラカラです。手術中の痛みはないとのことでしたが、私は少しチリチリした感じはありました。

40分後くらいから痛み出すから寝てしまうのがいいというアドバイスを項いていたので、母にしがみ付きながら近くのホテルまで行き、軽く食べ、薬を飲んですぐベッドに入りましたが、緊張と興奮でなかなか寝付けません。クーラーを効かせてもいつか来る痛みにそなえて体が硬直して力が入り、へんに汗が出て、眠りにつけないまま軽い火傷のときのような痛みが始まりました。しかし、痛みでのたうち回る自分を想像していたので、痛み止めの特効薬として戴いた目薬には手を出さないでおこう。と耐えていました。なぜならこの薬は強いから一度点したら次は30分は時間を空けなくてはならないそうで、今、ここで点して30分以内に痛みのピークが来たら耐えられないかもしれない。と考えたからです。でも、そう考えていたその時がピークだったらしく、点してみると全く痛みは消え、すぐに眠っていました。

その後は3時間おきに目薬を点すために起こされました。目を開けることができないので、手で目の下をそっと引くと涙が流れます。光が眩しいので、電気をつけることも、カーテンを開けることもできないまま過ごしました。

翌日には帰ろうと思っていましたが、目全体が腫れた感じで未だ、自力で目を開けられないので、もう一泊することにしました。夜になると数秒なら目を開けることもできるようになり、暗めのサングラスは手放せませんが、電気をつけても大丈夫になっていました。やっと食べ物が喉を通るくらいに落ち着き、痛みもだいぶ引きました。

その翌日に飛行機にのって自宅へ帰りました。空港のように人の多い場所は、非常に怖く、危険でした。少し目を開けて、ぼんやりとした中周りを確認してから少し歩き、目を開けて、少し歩き・‥の繰り返しで、羽田でも何とかバスに乗りかえ、無事、家路につくことができました。

それから数日は、できるだけ目を使わないように一日のほとんどを寝て過ごしました。手術3日後にもなると痛みもなくなり、ゴロゴロとした異物感だけになっていましたし、目を覚ますたびに視界が開けていくので、感動の毎日でした。とはいっても、どこまで視力が伸びるか分からなかったので、今日、ここでストップしたらどうしよう・・・と正直、不安もありました。遠くから見えるようになるので、しばらくは手元が見えづらかったのですが、それも解消され、今となっては、その時は何を不安に思っていたのかというくらい、すっかり見えるようになりました。

術後すぐ見えるようになるよりも、しだいに見えてくるほうがありがたみがあるので、私はPRK法で正解だったと思います。もちろん、ドライアイにもなっていません。そして、私があまりにも見える見える言うので、私のことを実験台呼ばわりしていた周りの人達もみんな受けたいと言い出しています。(でも、まだ怖いと一歩踏み出せないようですが)

本当に、思い切って受けて良かったです。むしろ、なぜ、もっと前に受けなかったのか?というほどです。 長年の煩わしさから開放された今、もっといろんなことに挑戦していきたいと思っています。

視力を武器に3連勝!!

Filed under: 強度近視 — 参宮橋アイクリニック

右眼 裸眼:0.02→1.0

左眼 裸眼:0.02→1.5

Y.N さん (ボクサー・24歳)

<PRK 術後1年>

データ 裸眼 矯正視力 近視度 乱視度
術前右眼 0.02 1.2 -7.0D -1.75D 10度
術後右眼 1.0 1.2 -0.75D
術前左眼 0.02 1.2 -7.0D
術後左眼 1.5 n.c

手術前、両目とも0.02程で近視と乱視を持つ私の目は、一日中コンタクトを放せない生活を送っていました。

そこでレーザー手術を受けることを決め、一般的に知られている近視レーザー手術(LASIK)について調べ、眼科を訪ねました。しかし、現役女子ボクシング選手である私にとって、角膜を削り、レーザーを当てるLASIKは不適切だと言われ、他の手術方法がないか調べていたところ、奥山先生のPRKと出会うことができました。PRKであれば、ボクシングなどの過激なスポーツをしても、角膜に問題が生じることはないと知り、こんな魅力的な手術があるのだと感動し、すぐに資料を請求しました。

数日後、手術の事について分かりやすく書かれている本が届き、それをくまなく読み返しました。手術の良い点、心配な点も細かく説明されてあり、手術の事に無知で不安だった私を理解させてくれるものでした。

無事、手術を受けることができ、2~3週間後には両目1.5という、自分でも信じられないほど視力が回復していました。一番それを感じた時は、外に出て遠くの車のナンバープレートがクッキリ見えたときでした。あまりの嬉しさに、何度も片目ずつ確認をしました。また、ボクシングでは、今までにはなかった視力という武器を持ち、3連勝という成績を残すことができました。以前までは、裸眼で物が見えなかったことを思い出せたのですが、今では物が見えなかったことを思い出せないくらいです。これからも目を大切にしていきたいと思います。

奥山先生、看護婦さんに感謝いたします。ありがとうございます。

手術してよかった!間一髪で命救われる

Filed under: 強度近視 — 参宮橋アイクリニック

右眼 裸眼: 

左眼 裸眼:0.03→0.6

竹下 雅雄 さん (会社員・57歳)

<PRK 術後1年>

データ 裸眼 矯正視力 近視度 乱視度
術前左眼 0.03 1.0 -6.0D -2.0D 36度
術後左眼 0.6 1.0 -0.75D -1.0D 53度

手術してよかった!

船釣り中に漁船に衝突され(相手船が自動操舵で見ていなかった)、同乗者は怪我をし、船は大破しまして新聞にも載ったのですが、私は衝突寸前に海に飛び込みどうやら無事でした(手術前だったら躊躇たと思います)。
もちろんサングラスなど身に付けているものはほとんど無くなりましが、海中でもはっきり見えることに驚き、非常に満足いたしました。図らずもPRK手術の威力を実感しました。

やはり手術してよかったと思いますし、皆さんにも勧めたいと思います。

奇跡の生還

Filed under: 強度近視 — 参宮橋アイクリニック

右眼 裸眼:0.01→1.0

左眼 裸眼:0.02→0.9

H・R さん (学生・20歳)

<RK・PRK 術後3年>

奇跡の生還

データ 裸眼 矯正視力 近視度 乱視度
術前右眼 0.01 1.0 -6.5D -1.75D 180度
術後右眼 1.0 1.2 -0.75D -0.75D 180度
術前左眼 0.01 1.0 -6.5D -1.75D 180度
術後左眼 0.9 1.0 -0.75D -1.0D 180度

1996年6月27日、アイオワシティ・ダウンタウンの見通しの悪い交差点で、バンと自転車による出会い頭の衝突事故があった。バンは自転車の前輪に当たり、自転車に乗っていた女性はバンの下敷きになり、何フィートも引きずられ、バンが止まったときは女性の頭にタイヤが触れていた。自転車に乗っていた女性はアイオワ大学の大学院生、R・Hさん。R・Hさんはアイオワ大学病院に救急車で運ばれたが、危篤状態であった。
~1996年6月28日付け、デイリー・アイオワ紙より~

R・Hさんは両眼とも、93年7月にPRK手術、94年6月にRK手術と、計2回手術を受けていた。手術に反対している医師達が挙げる最大の理由は、外傷で眼球破裂が生じやすいと言うものだが、それは根拠がないということが実証されたのである。

ちょうど3ヶ月前、私は交通事故に遭いました。自転車に乗っていたときに、大きなバン(小型バス)と正面衝突したのです。見通しの悪い四つ角だったため、お互いに相手が見えず、かなりのスピードでぶつかったようです。目撃者の話によると、私の身体は空中高く跳ね上がった後、顔から地面に落ち、うつ伏せに倒れたのですが、さらにそこに、急ブレーキをかけたバンが来て、私の上で止まる形になりました。バンの前輪が頭の真上で止まり、まるで風船の上に重りをのせると凹むように、頭は陥没していました。慌てて降りてきた運転手が事態に気づき、車に戻ってバックさせ、ようやく頭がタイヤの下から出てきました。私はもちろん意識不明で、すぐに救急車で集中治療室に運び込まれました。ひどい事故なので命は助からないと思われ、翌朝の地方紙では一面記事となり、テレビやラジオでも報道されました。

ところが、奇跡的に命拾いをしたのです。おでこに20数針を縫い、鼻は砕けて鼻孔が塞がれ、歯も2本抜け3本折れ、鼻・口・顎と何針か縫いました。が、不思議なことに脳には全く異常がなく、目も見えるのです。普通、頭蓋骨が耐えられるのは60キロまでだと聞いています。なのに、何百キロもの車のエンジンが真上にあったにもかかわらず助かったのは、やはり奇跡としかいいようがありません。怪我からみてもわかるように、頭部にはかなりの重圧が掛かったものと思われます。私は、奥山先生に、3年前にPRK手術、2年前にRK手術をして頂いたのですが、これほどの重圧が掛かっても眼球は破裂しませんでした。たとえ命が助かったとしても、大学院で美術の創作活動をしている私にとって、視力を失うことは何よりも耐えがたいものとなっていたはずです。

私の体験を見てもはっきりとわかるように、手術のせいで目の抵抗力が低くなることはありません。ですから、安心して手術を受け、ひとりでも多くの人に視力を回復する喜びを味わって欲しいと思っています。

好きな旅行もより楽しくなりました

Filed under: 強度近視 — 参宮橋アイクリニック

右眼 裸眼:0.02→0.4

左眼 裸眼:0.02→0.5

M・T さん (主婦・46歳)

<術後2年>

データ 裸眼 矯正視力 近視度 乱視度
術前右眼 0.02 1.2 -6.25D -1.0D 170度
術後右眼 0.4 1.2 -1.75D -1.0D 180度
術前左眼 0.02 1.2 -5.5D -1.5D 15度
術後左眼 0.5 1.2 -1.0D -1.75D 15度

息子と二人でグァム島へ、スキューバが目的で行った時のものです。
10回ほど海へ入りました。
裸眼で見る自然と大地の美しさは、例えようのないくらい地球のすばらしさに感動いたします。
それは歴史のあるヨーロッパとはまた違った感動でございますが、この海の美しさが少しでも伝われば幸いです。

南極探検隊への参加

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右眼 裸眼:0.04→1.2

左眼 裸眼:0.04→1.5

藤田 耕史 さん 35歳

PRK 術後3年

データ 裸眼 矯正視力 近視度 乱視度
術前右眼 0.04 1.5 -5.25D -0.50D 32度
術後右眼 1.2 1.2 -0.75D -1.50D 79度
 
術前左眼 0.04 1.5 -5.25D -0.5D 175度
術後左眼 1.5 1.5 -0.75D  

手術日 右2001年10月/左2001年11月

私が目の手術を考えたのは、趣味である山登りの様々な場面で、眼鏡を使用している故に危険な目にあったためです。参宮橋アイクリニックのことは、雑誌「週間金曜日」で知りましたが、他で採用されてない手術法(PRK)には不安もあり、広告でよく見かけたLASIKについてもいろいろ調べてみました。結局、自分として最も納得できたPRKを受けることにしました。

手術当日は駅のホームからすぐに痛み始め、それはもう辛い一夜を過ごしました。翌日も目を開けられず、「このまま見えなくなる?」と早くも後悔していました。2日目の朝、瞼は腫れて開けにくく視界の大部分がかすんでいましたが、それでも天井の隅が妙にクッキリ見えていたのが印象的でした。
その後の経過は非常に順調で、両目とも0.04だった視力も右1.2/左1.5に快復しています。右目に術前はなかった乱視が出ているのが唯一の不満ですが、当初は視力の快復が0.7程度と言われていたことからすれば、大変満足しています。

手術の1年後、南極観測隊に参加することになりました。手術を決めた際には予想もしていなかった話でしたので、術後の経過を1年間チェックしていただいて、目の状態が落ち着いてから行くことができ、タイミング的にも大変良かったと思っています。南極ではよく知られた昭和基地ではなく、千キロ内陸の「ドームふじ基地」でわずか8人での越冬でした。平均気温-57度、最低気温-79.7度、標高3800m、空気は平地の3分の2という、「世界で最も厳しい環境の基地」と言われています。基地内の気温は+20度と快適ですが、外は極寒の世界。さらには太陽の出ない期間が4ヶ月もあり、少人数と言うこともあって精神的にも厳しい冬でしたが、そんな我々への「ご褒美」のように美しいオーロラが降り注いでいました(蛇足ながら、夏の期間は太陽が出っぱなしなのでオーロラは見られません)。気温があまりに低いため、眼鏡は吐いた息が凍り付いて、すぐに曇ってしまいます。手術のおかげで「裸眼」でのオーロラを十二分に堪能することができました。さらに、人類初の南極での皆既日食を目撃する幸運にも恵まれました。特に南極内陸で皆既日食が見られたのは我々の基地だけだったようで、大変貴重な思い出となりました。

最後になりますが、手術を考えている方々に。私は良好な視力を得ることができ、本当にラッキーというか、ありがたく思っています。更に幸いなことに、極寒・低酸素の環境で1年を過ごしましたが、特に視力に影響は出ていないようです。しかし、当初言われていた視力0.7程度の快復だったらどのくらいの満足・不満を感じただろうか?ははっきりとわかりません。今でも「再び視力が低下するのでは?」という不安があります。手術の結果、回復できる視力やそれへの満足度は人それぞれだと思うので、誰にでも手放しでお勧めするわけにはいきません。いろんな資料を納得するまで調べた上で決断する事をお勧めします。

 

メガネザルからの解放

Filed under: トピックス,中等度近視 — 参宮橋アイクリニック

右眼 裸眼:0.02→1.0

左眼 裸眼:0.02→0.5

S・R さん (学生・21歳)

RK・PRK 術後3年

データ 裸眼 矯正視力 近視度 乱視度
術前右眼 0.02 1.2 -3.75D -1.0D 170度
術後右眼 1.0 1.2 +0.25D -0.75D 175度
術前左眼 0.02 1.2 -3.5D -1.0D 13度
術後左眼 0.5 1.2 -1.0D -0.75D 20度

メガネザルからの解放

私がRK手術を受けたのは、94年3月、18歳の時で、アメリカの大学へ入学が決まった時でした。
小学4年生位から目が悪くなりはじめ、5年生になってメガネを掛けました。クラスの男子に「メガネザル」と、はやしたてられてとても悔しい思いをしたのは忘れません。

高校に入ってからは、コンタクトレンズをしましたが、レンズを洗っているときに流したり、破けたり、コンタクトレンズをつけるために時間がかかって遅刻したりする事もありました。私の両親が、10年以上前にRK手術を受けて、2人ともメガネなしの生活をしていましたので、私も早く手術を受けたいと思っていました。

近視と乱視があるので、RK手術に決まりました。先生から「若いから近視が進行するかもしれない」と言われました。大学の生活は、1日中細かい文字の辞書を読んだり、コンピューターの画面を見たり、目を酷使する毎日でした。その為か、特に右日の視力が悪くなり、PRKで再手術をすることになりましたが、早く卒業したくて、授業を沢山取っていた為に、なかなか休みが取れず、卒業のめどがついた97年の8月にPRKの手術を受けました。RKの時はズキズキという痛みでしたが、PRKは熱を持ったヒリヒリという痛みでした。

現在右目が0.8、左目が0.1で左右の差があります。
現在は大学を卒業して、広告関係の仕事をしています。近くを見たり、コンピューターを見たり細かい仕事が多いので、遠くを右目で、近くを左目で見ているような感じです。左右差で目が疲れるみたいですが、左目を治すと、近くの仕事が、やりにくいのではと、そのままにしています。日常生活で不自由はしていません。

友達にも、手術を勧めているのですが、何となく恐いというイメージがあるみたいです。小学生の頃に歯の矯正をしたことがありましたが、何年もかかって、なかなか治らなくて挫折してしまいました。それに比べれば目の手術は、短時間で、確実に、費用も安く素晴しいので、もっと普及してもよいのではないかと思います。

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奥ノ山医院
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