術後20年たっても快適に過ごしています:体験談(患者さんの声 近視手術 レーシック)

1983年より近視手術専門医院・切らないレーシック
(旧 参宮橋アイクリニック)

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体験談

術後20年たっても快適に過ごしています

Filed under: トピックス,中等度近視 — 参宮橋アイクリニック

右眼 裸眼:1.2

左眼 裸眼:1.2

今村 裕二(男性)

オペ日 右・左1993年8月

早いもので手術をしてから20年近くなりました。

現在でも右1.01.2の視力を保っております。

車の運転を職業としている私は夜や雨の状況下では心身共に非常に負担がかかりました。

 

そんな時、手術で視力が回復することを知りました。

コンタクトレンズやメガネから解放される、とても素晴らしいと思いました。

しかしその時は迷いました、妻とも話し合いをしてついに決心しました。

それは奥山先生自身、御家族の皆様が先に手術をして、安全性を証明してくれたということです。

私はレーザーで施術をしていただきました。

術前検査も術後のケアも入念でした。

今でもとても快適です。

何でも相談して下さい。

納得するまで先生は説明してくれますから。

南極探検隊への参加

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右眼 裸眼:0.04→1.2

左眼 裸眼:0.04→1.5

藤田 耕史 さん 35歳

PRK 術後3年

データ 裸眼 矯正視力 近視度 乱視度
術前右眼 0.04 1.5 -5.25D -0.50D 32度
術後右眼 1.2 1.2 -0.75D -1.50D 79度
 
術前左眼 0.04 1.5 -5.25D -0.5D 175度
術後左眼 1.5 1.5 -0.75D  

手術日 右2001年10月/左2001年11月

私が目の手術を考えたのは、趣味である山登りの様々な場面で、眼鏡を使用している故に危険な目にあったためです。参宮橋アイクリニックのことは、雑誌「週間金曜日」で知りましたが、他で採用されてない手術法(PRK)には不安もあり、広告でよく見かけたLASIKについてもいろいろ調べてみました。結局、自分として最も納得できたPRKを受けることにしました。

手術当日は駅のホームからすぐに痛み始め、それはもう辛い一夜を過ごしました。翌日も目を開けられず、「このまま見えなくなる?」と早くも後悔していました。2日目の朝、瞼は腫れて開けにくく視界の大部分がかすんでいましたが、それでも天井の隅が妙にクッキリ見えていたのが印象的でした。
その後の経過は非常に順調で、両目とも0.04だった視力も右1.2/左1.5に快復しています。右目に術前はなかった乱視が出ているのが唯一の不満ですが、当初は視力の快復が0.7程度と言われていたことからすれば、大変満足しています。

手術の1年後、南極観測隊に参加することになりました。手術を決めた際には予想もしていなかった話でしたので、術後の経過を1年間チェックしていただいて、目の状態が落ち着いてから行くことができ、タイミング的にも大変良かったと思っています。南極ではよく知られた昭和基地ではなく、千キロ内陸の「ドームふじ基地」でわずか8人での越冬でした。平均気温-57度、最低気温-79.7度、標高3800m、空気は平地の3分の2という、「世界で最も厳しい環境の基地」と言われています。基地内の気温は+20度と快適ですが、外は極寒の世界。さらには太陽の出ない期間が4ヶ月もあり、少人数と言うこともあって精神的にも厳しい冬でしたが、そんな我々への「ご褒美」のように美しいオーロラが降り注いでいました(蛇足ながら、夏の期間は太陽が出っぱなしなのでオーロラは見られません)。気温があまりに低いため、眼鏡は吐いた息が凍り付いて、すぐに曇ってしまいます。手術のおかげで「裸眼」でのオーロラを十二分に堪能することができました。さらに、人類初の南極での皆既日食を目撃する幸運にも恵まれました。特に南極内陸で皆既日食が見られたのは我々の基地だけだったようで、大変貴重な思い出となりました。

最後になりますが、手術を考えている方々に。私は良好な視力を得ることができ、本当にラッキーというか、ありがたく思っています。更に幸いなことに、極寒・低酸素の環境で1年を過ごしましたが、特に視力に影響は出ていないようです。しかし、当初言われていた視力0.7程度の快復だったらどのくらいの満足・不満を感じただろうか?ははっきりとわかりません。今でも「再び視力が低下するのでは?」という不安があります。手術の結果、回復できる視力やそれへの満足度は人それぞれだと思うので、誰にでも手放しでお勧めするわけにはいきません。いろんな資料を納得するまで調べた上で決断する事をお勧めします。

 

メガネザルからの解放

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右眼 裸眼:0.02→1.0

左眼 裸眼:0.02→0.5

S・R さん (学生・21歳)

RK・PRK 術後3年

データ 裸眼 矯正視力 近視度 乱視度
術前右眼 0.02 1.2 -3.75D -1.0D 170度
術後右眼 1.0 1.2 +0.25D -0.75D 175度
術前左眼 0.02 1.2 -3.5D -1.0D 13度
術後左眼 0.5 1.2 -1.0D -0.75D 20度

メガネザルからの解放

私がRK手術を受けたのは、94年3月、18歳の時で、アメリカの大学へ入学が決まった時でした。
小学4年生位から目が悪くなりはじめ、5年生になってメガネを掛けました。クラスの男子に「メガネザル」と、はやしたてられてとても悔しい思いをしたのは忘れません。

高校に入ってからは、コンタクトレンズをしましたが、レンズを洗っているときに流したり、破けたり、コンタクトレンズをつけるために時間がかかって遅刻したりする事もありました。私の両親が、10年以上前にRK手術を受けて、2人ともメガネなしの生活をしていましたので、私も早く手術を受けたいと思っていました。

近視と乱視があるので、RK手術に決まりました。先生から「若いから近視が進行するかもしれない」と言われました。大学の生活は、1日中細かい文字の辞書を読んだり、コンピューターの画面を見たり、目を酷使する毎日でした。その為か、特に右日の視力が悪くなり、PRKで再手術をすることになりましたが、早く卒業したくて、授業を沢山取っていた為に、なかなか休みが取れず、卒業のめどがついた97年の8月にPRKの手術を受けました。RKの時はズキズキという痛みでしたが、PRKは熱を持ったヒリヒリという痛みでした。

現在右目が0.8、左目が0.1で左右の差があります。
現在は大学を卒業して、広告関係の仕事をしています。近くを見たり、コンピューターを見たり細かい仕事が多いので、遠くを右目で、近くを左目で見ているような感じです。左右差で目が疲れるみたいですが、左目を治すと、近くの仕事が、やりにくいのではと、そのままにしています。日常生活で不自由はしていません。

友達にも、手術を勧めているのですが、何となく恐いというイメージがあるみたいです。小学生の頃に歯の矯正をしたことがありましたが、何年もかかって、なかなか治らなくて挫折してしまいました。それに比べれば目の手術は、短時間で、確実に、費用も安く素晴しいので、もっと普及してもよいのではないかと思います。

肩コリや頭痛が軽減されました

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右眼 裸眼:0.05→1.2

左眼 裸眼:0.05→1.2

室橋 尚美 さん (事務職・29歳)

<RK 術後2年>

データ 裸眼 矯正視力 近視度 乱視度
術前右眼 0.05 1.5 -3.5D -0.75D 170度
術後右眼 1.2 1.5 -0.25D -0.5D 150度
術前左眼 0.04 1.5 -3.5D -1.0D 180度
術後左眼 1.2 1.5 -0.25D -0.75D 14度

私がRK手術をしようと決心したのは船瀬俊介さんの「グツド・バイ  メガネ・コンタクト」という本を読んだからです。この本は、RK手術についてとても詳しく書かれた本で、船瀬さん自身の体験談でもあります。

ずっとメガネやコンタクトなしの生活に戻りたいと思っていてRK手術には興味がありました。でも手術費や仕事のことを考えると又本当に見えるようになるのかという不安もあり、なかなか主人にも話せず悩んだりしていました。でも、船瀬さんの本を読んで、私と同じ視力の船瀬さんが両眼とも1.5まで回復したのを知り自信がつきました。

そして、手術を決心し奥山先生とお話ししてとても気持ちがリラックスできて、先生を信頼して手術をお願いしました。手術中は不安にならずに「絶対によくなるんだ!」と自分自身に言い聞かせ、奥山先生を信じました。結果翌日には0.6、1ヶ月後1.5になっていました。私は回復すると信じることがよかったんだと思います。目がよく見えるようになり日常の世界が変わりました。

また、肩こりや頭痛もすっかり治り、自分自身が変わった気さえします。免許の更新の時、眼鏡使用なしにしてもらえて、とてもうれしかったです。奥山先生には本当に感謝しています。1年日の検診のとき思わず先生に握手を求めてました。先生の手は柔らかくとても暖かかったです。
この手に私の目は治していただいたんだなあと改めて感謝しました。もっと多くの人に、RK手術を知ってもらい、1人でも多くの人にメガネやコンタクトなしの生活の素晴しさを味わって欲しいと思います。

海外出張の際の負担がなくなりました

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右眼 裸眼:0.03→1.2

左眼 裸眼:0.06→1.2

川村 哲司 さん

<PRK>

データ 裸眼 矯正視力 近視度 乱視度
術前右眼 0.03 1.5 -4.0D
術後右眼 1.2 1.2 +0.87D -0.75D
術前左眼 0.06 1.2 -3.0D -0.5D 10度
術後左眼 1.2 1.2 +0.87D -1.0D 16度

東京都品川区にある参宮橋アイクリニックでPRKによるレーザー治療を受けました。1997年9月に右眼を、翌10月に左眼を治療しました。

私は1995年から2年間、ボランティアとしてパプアニューギニアに赴任しておりました。眼鏡やコンタクトレンズによる生活は、日本に居るときでも非常に不便に感じておりましたが、途上国での生活では本当に大変でした。首都や比較的大きな地方都市に居るときならば何とかコンタクトレンズケア用品も手に入るのですが、町を離れればそのようなものは勿論手に入れられず、調査等で山奥に入るときなどは、コンタクトレンズはできないので眼鏡に頼らざるを得ません。その眼鏡も、時と場合によっては簡単に破損してしまうこともあります。そうなってしまえば、また大きな町に出て眼鏡を作り治さなければなりません。

このような理由から、海外、特に途上国で生活する上で、眼鏡やコンタクトに頼らなければならないというのは非常に不利なことだと感じました。ケアの問題も無論ですが、野外に出て仕事をする上では行動範囲そのものを確実に制限します。行動範囲を制限するという意味においては日本に居るときにも当てはまるかもしれません。ちょっと気軽にスポーツをしたり、屋外に出たりしようと思ったとき、眼鏡からコンタクトに変えるのを面倒に感じて結局やめてしまった体験は、多くの人もしていることと思います。
そのようなとき、過去にRK手術を受けた経験のある日本人の方と知り合いになり、実際に私と同じような思いをして手術をするに至ったお話を聞く機会がありました。それがきっかけで、帰国後PRK手術を受けようと決意するに至りました。

治療後およそ1年になりますが、今では裸眼で野球も問題無くできます。何よりも、もうコンタクトのケアなどに煩わされることがないので、野外に出るときや海外への出張の際の負担が大きく減ったことを実感しております。治療を受けて、本当に良かったと思っています。

今後、PRK手術に対する理解が広まり、それと共に治療費も下がって、もっと普及することを願ってやみません。

長い迷いと不安の年月からの解放

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右眼 裸眼:0.05→0.2

左眼 裸眼:0.01→0.3

横村 直子 さん(主婦・48歳)

ものごころついた頃から悩んでいました

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右眼 裸眼:0.06→1.2

左眼 裸眼:0.05→1.2

近藤 まどか さん (主婦・29歳)

<術後1年>

データ 裸眼 矯正視力 近視度 乱視度
術前右眼 0.06 1.2 -3.5D -0.75D 9度
術後右眼 1.2 1.5 -0.5D -0.75D 12度
術前左眼 0.05 1.2 -3.5D -1.0D 1度
術後左眼 1.2 1.5 -0.25D -0.75D 2度

私の友達が参宮橋アイクリニックで手術を受けてとても結果が良かったので手術を受けることにしました。子供の頃から近視の手術のことは知っていて、機会があったら受けてみたいと思っていました。

手術前の視力は右0.05、左0.06でメガネをかけたりはずしたりの生活でした。コンタクトは、アレルギー性結膜炎があるのでたぶん無理だと思ったし、友達がよくコンタクトがずれたりなくしたりという話をしていたので試す気にはなりませんでした。手術に対しては、身近によくなった人がいるので、迷いや不安はありませんでした。

手術直後1~2日多少の痛みがありましたが、現在右1.2、左1.2の視力を考えるとすばらしい手術だと思います。

コンタクトの煩わしさから解放されました

Filed under: 中等度近視 — 参宮橋アイクリニック

右眼 裸眼:0.04→0.9

左眼 裸眼:0.06→0.8

S・A さん (保育士・32歳)
<PRK 術後1年>

データ 裸眼 矯正視力 近視度 乱視度
術前右眼 0.04 1.2 -4.0D -0.5D 180度
術後右眼 0.9 1.2 -0.5D
術前左眼 0.06 1.0 -3.5D -1.0D 25度
術後左眼 0.8 1.2 -0.5D

2002年、2月新大阪の鈴木眼科クリニックにてPRK手術を受けました。
保育士なので職業上時間の融通は多少ききますが、まとまった休みが取り辛く半ばあきらめていました。 しかし、子供の父兄で手術を受けた方から参宮橋アイクリニックを紹介していただき、連休で休みが取れるとあって、思い切って主人共々手術を受けることにしました。

手術前の検査は多少緊張しました。特に主人は最強度近視と、かなり強い乱視のために本当に治るのかどうかとても不安でしたが、先生をはじめ検査をしていただいた職貝の方が色々疑問に答えて下さり、安心して何となくワクワクしながら新大阪へ向かいました。

集合の後、薬の説明、最後に先生からの手術の注意事項を聞いた後に、手術が始まりました。順番が来ると緑色の手術着を着せてもらい、手術室に入ります。すると前の人の目にレーザー光線が当っている様子をモニターで見ることができます。あっという間ですが全体的な手術の流れが分かり、自分の番ではかなり緊張がほぐれました。私自身は中等度の近視と乱視がありましたが両眼で2分位だったと思います。

そして職員の方に心配されて何度も説明を受けた帰りの新幹線も余り問題無く、むしろ楽しく帰れました。なにせ本人は両眼を手術し、主人の片眼を頼りに手に手を取り合っての旅行ですから、回りの方には何事か?と思われたのではないでしょうか。とにもかくにも無事自宅に到着し、疲れもあってか睡眠導入剤も服用せずに熟睡してしまいました。

翌日からは説明を受けた通り、目が開けにくく、何かをしていないと収まらない程度の痛みがしばらく続きました。主人は片眼で、2日後から仕事を始めていたため、痛みをさほど感じていないようでしたが、私は両眼手術をして、家でじっとしていたため、目のことばかりを考えてしまい、目を閉じれば異物感、開ければ眩しく涙がポロポロという状態が3~4日続きました。その間は物がボーツと霞の中で物を見るような感じでしたが、5日目の朝起きたときに5mくらい先のカレンダーの文字が目に飛び込んできました。近くは言われた通り二重に物が見え、非常に見にくかったのですが、それも1週間、2週間と日を追うごとに読めるようになってきました。主人も眼鏡を外したためか顔付きが随分変わり、早くもう片眼の手術をしたいと言っていました。

私も眼鏡やコンタクトレンズの煩わしさから解放され、今年度から年長クラスの担任になり、保育にも十分力を入れられそうです。

さようならコンタクト

Filed under: トピックス,中等度近視 — 参宮橋アイクリニック

右眼 裸眼:0.04→1.5

左眼 裸眼:0.03→1.0

海老原 智子 さん 主婦

<PRK 術後2年>

データ 裸眼 矯正視力 近視度 乱視度
術前右眼 0.04 1.5 -4.25D -0.75D 170度
術後右眼 1.5 1.5 -0.75D -0.50D 175度
術前左眼 0.03 1.2 -6.00D -0.5D 180度
術後左眼 1.0 1.2 -0.75D

私は、約20年間もコンタクトレンズを使用していました。もう体の一部という感じで、恐ろしいことに、コンタクトレンズなしでは生きていけないというほどになっていました。

海、プールはもちろんのこと、お風呂に入る時もはずせません。プールに行っても子どもがふざけて水をかけると「コンタクトレンズが取れたらどうするの!」と激怒し、水の滑り台などもってのほかで、とても楽しいという気持ちになれませんでした。そして、とうとう子供とはプールも一緒に行かなくなってしまいました。コンタクトレンズ無しでは1人で外も歩けませんし、お化粧も自分の顔が見えないので出来ません。ある時、友達と間違えて車の標識に手を振ってしまい、大爆笑された事もありました。

それより何より一番恐ろしいことは、もし私が病気や事故で倒れてしまい、何日か意識が戻らなかったら何日もコンタクトレンズを付けたままということになります。そんな事をしたら失明してしまうかもしれません。その為、子供には何度も「ママがもし倒れたらコンタクトレンズを付けていますからはずして下さいと病院の人に絶対言ってね!」と、しつこい位言い聞かせていました。子供は、もううんざりという感じでした。

3年位前に友達がPRK手術を受けて、とても良かったと聞いていましたが、怖くてなかなか手術を受ける勇気がありませんでした。当時私は、右日0.04、左目0.03で乱視もかなりひどく、このままでいいのだろうか?コンタクトレンズの手入れも面倒で2年おきに買いかえるお金もバカにならないし、20年もコンタクトレンズを使用していて目に悪くないだろうか?でも、「病気でも無いのにわざわざ高いお金を出して、もし手術に失敗したらどうするの?自分も悲しいけど家族にも迷惑をかけてしまう‥‥。」と、いつもなら何も考えないで行動する私ですが、さすがにこの件はあれこれ悩み続けました。

やっと手術する決心がつき、予約をしてから病院に行きました。まず、誰にでもわかるように詳しく手術の説明をしていただき、どんなくだらない質問にもいやな顔ひとつせず、ニコニコしながら丁寧に答えて下さいました。友達には、「参宮橋アイクリニックに奥山先生という日本で初めてこの手術をされたとても立派で有名な先生がいらっしゃるのよ。先生にお願いすれば大丈夫よ。」と言われていました。私は、「そんな有名な先生ならきっと気難しくて怖い先生だろうなあ」と勝手に失礼な想像をしていたのですが、あまりにも癒し系でやさしい先生なのでびっくりしてしまいました。後日、手術前検査をしました。その検査も、丁寧にこの手術が出来る眼なのかなど調べていただき、とても安心出来るものでした。

しかし、手術当日は5~6人いる中で私が一番目だったせいかドキドキしてしまい、本当に1人で電車に乗って家に帰れるだろうか?と気弱になってしまいました(1時間15分位かかる)。手術室に入る前に、看護婦さんに目薬を2回さしていただきました。「これでもう麻酔は効いていますよ。」と言われ、「え-!こんなので麻酔効いているの?大丈夫?」と心配になりましたが、手術中は全く痛みがありませんでした。奥山先生に、「赤い丸の光を見ていてね。」と言われ私は1分間位横になって見ていただけでした。手術はあっという間に終わり、えっ!本当にこれで20年間見えなかったのが見えるようになるの?と不思議な気持ちでした。その上奥山先生に、「よく頑張ったね。えらい、えらい」とニコニコ顔で褒めていただき、「この歳になってこんな事で褒められるなんて幼稚園児じゃあるまいし‥‥」。と、思わずふきだしてしまいそうでした。こんな調子で、とてもリラックスできて良かったと思いました。「な-んだ、大丈夫じゃない。」と上機嫌で駅まで歩いて行きましたが、駅に着いた頃からもう痛み出してしまいました。痛み止めの目薬をいただいていたので電車に乗る前に1回さしましたが、新宿駅に着いたらもう痛くて、痛くて‥‥。一人で来たことをとても後悔しました。でも、たった1滴で劇的に痛みは消えるので大変助かりました。この目薬を落としたりしないよう、手に握り締めお守りのようにして持ち帰りました。

手術当日は、痛くて夜中に何度も目が覚めてしまい、涙もポロポロで大変でした。翌日も痛みは治まらず、とても家事などする気もおきませんでした。でも、痛み止めの目薬をさすと一瞬で痛みは消えるのでその間大急ぎで動きまわりました。翌日の検査はとても1人では通院する元気も無く、主人に病院まで送り迎えしてもらいました。「頻繁に痛み止めを使うと治りが遅くなるかも」と先生に言われていたのですが無理を言って2本痛み止めの目薬を出していただきました(本来は1本)。でも、1本使わないうちに痛みは無くなりました。今は術後の痛みが軽くなるコンタクトがあるようです。
3日目でかなり良くなり、とても明るくて遠くまで見えていたので感激してしまいました。その頃から早く右眼も手術したいなあと、待ち遠しい程でした。左眼の視力は1週間で0.03→1・2になっていましたので、予定通り1週間後に右眼の手術をしました。しかし、右眼は1ケ月近くなっても0.04→0.3までしかならず、心配でたまりませんでした。でも奥山先生が何故そうなのかわかりやすく説明してくださり「大丈夫!最終的には逆に右眼の方が良く見えるようになるからね。」とおっしゃって下さったので信じ
て待っていました。

それから奥山先生のおっしゃった通り、急に右眼の視力が上がり、1ケ月を過ぎたあたりから0・8位になり、6ケ月後には両眼共なんと1.5になりました。怖い位良く見えてうれしくてたまりませんでした。10ケ月後には右眼1.2、左眼1.0になりましたが、遠くが良く見えて、新聞もとても見やすいベストの状態です。手術前に「将来老眼になった時の事も考えて視力は0.8~1.0位になるように手術しましょう。」と言われていたので良い感じに近づいていると思います。術後何週間は太陽がやけに眩しく感じたり、夜になると見にくくなったりしましたが、そんなに不自由はしませんでした。

今は手術をして本当に良かったと思っています。手術したいと相談した時、何の文句も言わず快諾してくれ、協力してくれた主人と子どもに感謝、感謝です。ありがとうございました。

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