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1983年より近視手術専門医院・切らないレーシック
(旧 参宮橋アイクリニック)

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カテゴリー: 未分類 — 奥ノ山医院

近視手術を、月々のコンタクトの維持費用や携帯電話費用で可能に

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2011年3月11日に起きた東日本大震災では、被災地に、たくさんのメガネ・コンタクトが寄付されました。当院は、このような万が一の非常事態に備えて、メガネ・コンタクトのいらない生活を、多くの方に提供したいと考えました。そこで費用面の敷居をできるだけ下げました。毎月の負担額が少なく、月々のコンタクトレンズの維持費用や、携帯電話費用とほぼ変わらない分割プランをご用意しました。

(例)

軽度近視(-0.5D ~ -3.0D)20万円+税金【両眼】

初回1万200円 + 4600円×59回=28万1600円
初回8400円 + 5000円×53回=27万3440円

中等近視(-3.1D ~ -5.0D)40万円+税金【両眼】

初回9400円 + 7000円×59回=42万2400円
※アプラスの医療ローンでお支払いいただきます。

軽度近視~中度近視は20万~30万ですが、強度近視は視力により価格は異なります。
その他の分割費用にも対応したいと思いますので、お気軽にご相談ください。
医療ローンが組めない場合は、保証人を付けていただき、公正証書の作成が必要です。

※公正証書作成の手数料(費用)等は、政府が決めた公証人手数料令により、法律行為の目的価格に従い、100万円以下の場合は、手数料は5000円に定められています。

一括払いの料金体系

近視の程度により費用が異なります。

近視の程度 数値 費用
軽度近視 -0.5D ~ -3.0D 20万円+税金【両眼】
中等度近視 -3.0D ~ -5.0D 30万円+税金【両眼】
強度近視 -5.1D ~ -8.0D 50万円+税金【両眼】
最強度近視 【レベル1】 -8.1D ~ -9.0D 60万円+税金【両眼】
最強度近視 【レベル2】 -9.1D ~ -10.0D 80万円+税金【両眼】
最強度近視 【レベル3】 -10.1D以上 100万円+税金【両眼】

医師が家族に受けさせた安全安心をめざした医療

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近視手術との出会い

1983年、私は日本人の医師として、初めて近視手術を体験し、メガネから解放される感動を味わいました。当時近視手術は、宇宙飛行に相当する画期的なできごとでした。
人類初の宇宙飛行は、ユーリー・ガガーリンに、「地球は青かった」と語らせましたが、近視手術は、私に、裸眼で観たモスクワの街を「新緑が綺麗だった」と、感動させました。
この感動を、家族を始め、多くの人達と分かち合いたいと思いました。
私が体験できた近視手術は、「近視手術の育ての父」として、世界的に有名なS.N.フィヨドロフ博士によるものでした。1970年代、私はモスクワ大学の医学部に留学していました。メガネをしていた同僚の医学生が、ある日突然、裸眼で授業にやって来ることがよくありました。その頃すでにロシアでは、近視手術が一般的になっていました。アメリカでも、S.N.フィヨドロフ博士のお弟子さんたちが、100万人にも及ぶ手術を開始していました。

参宮橋アイクリニックを開業へ

「日本で近視手術を広めたい!」
過去に佐藤勉先生が近視手術の産みの親として努力されていた経緯があるので、日本でも、広く受け入れられる形にしたいと思いました。
まず、同僚の眼科医 若山久先生にS.N.フィヨドロフ博士のもとで、研修を積んでもらいました。そして同時期に、奥山と若山の両家族に、若山によるフィヨドロフ式近視手術を受けてもらい、効果と安全をチェックし、参宮橋アイクリニックを開業しました。
家族を危険な実験台にしたかのように思わないでください。当時ロシアでは、フィヨドロフ式近視手術は安全が証明されていました。しかし、また日本では、根拠もなく「失明するかもしれない」と、大きく誤解されていました。眼科学会では、慎重派が多数を占めていました。
慎重派の理解を得るためには、長期的な経過を観察した医学データが不可欠でした。

家族でメガネ・コンタクトから解放される喜びを分かち合う

そのためには、家族を手術するのが一番でしょう。しかし、医療人の常識は、「うるさいから、家族は自分で診ない」です。医師にとって、家族を手術するのは、必ずしもハッピーとは言えません。なぜなら、どんな治療でも、良しにつけ悪しにつけ、四六時中コメントされるからです。
私は医科4代の家に生まれましたが、曾祖父の遺した家訓の持つ意味が、身に染みて分かりました。「新しい療法に対しての取り組みは、可能な限り、まず自分、あるいは家族でその安全性と効果を確認し、その後一般の患者さんに行いなさい」というものです。

フィヨドロフ博士の人格と、近視手術の原理を信用しても、なおあり余るものがあったので、家族に手術を勧めることができました。
1983年に私の妻、妹、妹の夫、1997年には、妹の娘、2001年に妹の娘の夫、2006年に娘、2007年に娘の夫が手術を受けました。実験台になってくれただけでなく、家族全員がメガネ・コンタクトから解放される喜びを分かち合うことができました。
そのことは、当時の新聞記事にもなりました。
昭和60年(1985年)4月5日(金曜日) 東京新聞より抜粋
http://www.sangubashi.com/news/media/206/

「【筑波】茨城県筑波研究学園都市・科学万博会場のソ連館で紹介されている最先端医療を、日本人もソ連で受けられると同館が発表して大きな反響を呼んでいるが、このなかの近視の矯正手術について、すでに二年前、日本人医師が同国で手術を受け視力を向上させていることがわかった。
ソ連医療の著しい効果を体験したこの医師はソ連式近視矯正法を導入した眼科医院を都内に開設、これまで十三人の患者の近視を矯正することに成功したという。
この医帥は、奥山公道さん。奥山さんによると、手術による近視の矯正は、48年ごろからモスクワ眼科マイクロサージェリー研究所のフョードロフ教授が始めた。アメリカでもすでに、この手術が取り入れられている。」

強度近視でも手術が受けられます

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パーク近視手術は、強度近視の矯正に適しています

近視レーザー手術は、角膜をレーザーで削ったり蒸散させたりして、視力を矯正します。強度近視(-5.0D~-8D)や最強度近視 (-8.0D ~)を矯正するためには、軽度・中度の近視よりも、角膜を多く矯正しなければなりません。矯正する度合いが強ければ強いほど、角膜は厚い方が有利です。

なぜパーク近視手術が強度近視に適しているの?

それはパーク近視手術が、角膜をできるだけ厚く残して手術ができるからです。
近視レーザー手術は、5層になっている角膜の外側から3番目の「実質」にレーザーを当てます。1番外側の上皮の存在は邪魔になるので、取り除く必要がありますが、その方法は、【1】メスで上皮をこすり落とす、【2】カンナでフタを作る、【3】レーザーで蒸散させる、3通りがあります。
【1】メスで上皮をこすり落とす場合は、均一にこすり落とせないことや、【2】カンナでフタを作る場合は、必要な「実質」層までフタとして持ち上げてしまうことがあります。
そのため、角膜をできるだけ厚く残しながら、上皮を取り除くには、【3】レーザーで必要最小限、蒸散させるのが一番良いのです。
さらに、角膜にカンナをかけてフタを作ると、角膜が弱くなり、片眼に2回以上の手術はしにくくなります。
しかし、パーク近視手術はレーザーを当てるだけなので角膜に負担が少なく、複数回の手術を行うことができます。
たとえば1度目の手術では、「強度近視」から「中等度近視」に矯正し、その後、角膜が十分に回復した頃に(通常6か月以降)、2度目の手術で、「中等度近視」から「裸眼」で生活できるように段階的に改善させます。

パーク近視手術以外では、強度近視の手術はできないの?

最強度近視と言われる-10Dより強い近視の視力回復には、フィヨドロフ博士が開発し、遺した2つの選択肢があります。
1つは「有水晶体眼内レンズ(別名:フェイキックレンズ) 」で、2つ目がパーク近視手術に限られているのが現状です。
近視矯正のために、白内障でないのに、眼の中にレンズを入れるような施術を、最善の選択として勧めることはできません。眼内レンズは、白内障の手術としては一般的になりましたが、眼内炎による失明リスクを伴います。白内障の場合は、屈折調節をする水晶体が濁ってしまうので、水晶体そのものの交換はやむを得ない手段です。

眼内レンズと、パーク近視手術の比較表

薄い角膜でも手術が受けられます

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パーク近視手術なら、薄い角膜でも、手術が可能です

近視レーザー手術を安全かつ効果的に行うには、角膜の厚さが、とても重要な因子となります。一般的に、日本人の角膜の平均的な厚さは約0.5mmと言われています。しかし、この厚さに満たない薄い角膜の場合は手術を断られることや、白内障ではないのに眼内レンズを勧められることが多いようです。

なぜパーク近視手術なら、薄い角膜の方でも施術可能なのか

それは、パーク近視手術は、太いレーザービームで角膜を蒸散させるからです。

近視レーザー手術は、5層になっている角膜の、外側から3番目の「実質」にレーザーを当てます。1番外側の上皮と2番目のボーマン膜の存在は邪魔になるので、取り除く必要があります。その方法は、【1】メスで上皮をこすり落とす、【2】カンナでフタを作る、【3】レーザーで蒸散させる3通りがあります。

通常のPRKやレーシックの場合は、パワーが弱い細いレーザービームを使用するので、【1】メスで上皮こすり落とすか、【2】カンナでフタを作る方法が採用されます。

この時、【1】メスでこする場合は、上皮が残ってしまう、【2】カンナの場合は必要な「実質」までフタにくっ付いてしまうことがあります。さらに、細いビームで走査照射する、つまり蒸散ではなく切削なので、どの層を蒸散させているのかが確認できず、上皮と実質の境目を判定することができません。

一方、太いビームで一括蒸散させるパーク近視手術の場合は、蒸散の具合で、境目の判定ができます。上皮を蒸散している時は、上皮細胞の密度が粗いので早く蒸散し、実質に入ると、実質細胞の密度が密なので、蒸散のスピードが遅くなり、細胞レベルでの変化をモニターすることができます。そのため、実質を無駄なく、矯正することができるので、薄い角膜の方でも手術が受けられます。

パーク近視手術はフタを作らずにエキシマレーザーの照射で済むため、外膜が再生して手術後の近視化が起きる場合があります。けれども再生度合は、複雑です。多くの場合、術後の生活視力に合わせてオンデマンドに近視化が図られるようです。レーシック後は角膜中央光学領域が水平切開を受け、実質だけレーザー照射されるため、外膜は再生されません。パーク近視手術は、術後の近視化がみられる反面、角膜の厚さが6~12か月で約80%回復するので、強度近視、薄い角膜でも数回に及んで矯正が可能です。

40歳以上なのに、老眼が早まらない手術です

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パーク近視手術は、40歳以上なのに老眼が早まらない!

「40歳以上で近視レーザー手術を受けると、老眼が早まる」とレーシックを受けた人から言われ、手術を躊躇している方が少なくないようです。
でも、ちょっと待ってください。近視レーザー手術は一種類ではありません。パーク近視手術なら、太いビームを使用して多焦点矯正面を作るため、老眼が早まることはありません。

なぜ、フラップレス・レーシックなら、老眼が早まらないの?

一般的に、「レーシックで老眼が早まる」と言われるのは、遠くが見えることに重点を置いた「単焦点矯正面」が作られているからです。しかし、パーク近視手術は、老眼を早めず、遠近両用の「多焦点矯正面」を創出します。

コンタクトレンズを装着した単焦点矯正面 パーク近視手術の多焦点矯正面
■コンタクトレンズを装着した 単焦点矯正面(左) ■パーク近視手術の多焦点矯正面(右)

単焦点の矯正面は平面的で、遠くが良く見えるようになればなるほど、手元に焦点を合わせる為に、余分な調節負担がかかります。

一方、多焦点の矯正面は、より立体的で、遠くも近くも見やすいのです。読書をするような30cmの近距離も、車を運転する時のような遠い距離にも、少ない調節負荷で焦点が合います。

遠近両用矯正面なのは、太いレーザーで、角膜を切らないから

40歳前後の患者さんに「単焦点矯正面」を作るレーシック手術を行うと、調節緊張が強調され、様々な不定愁訴(「頭が重い」、「イライラする」、「疲労感が取れない」、「よく眠れない」、「目が乾く」などの、何となく体調が悪いという自覚症状)が発生することがあります。単焦点性で、過矯正気味の矯正を受けた場合は、読書やパソコンなどの近距離でものを見る場合に、常に調節を強いられ、患者さんは、想像しなかった新たな眼精疲労や、じっと眼を凝らして見つめるために、瞬きが減り、ドライアイを実感することになります。新聞や雑誌などに、それらの症状についての報道がありました。(2010年8月6日、週刊『新潮』)

私は、患者さんの20年後の生活まで見据えた上で、パーク近視手術を勧めています。ただし、誰もが年齢とともに近くが見えづらくなり、老眼にならないわけではありません。

参宮橋アイクリニックのメリット

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近視手術30年以上という実績に基づき、パーク近視手術を採用していること。

パーク近視手術は当院のスーパーPRKを意味します。

スーパーPRKはフタを作らないレーザー近視手術で、サーフェイスアブレイションとも呼ばれます。

通常のPRKが細いスキャンビームを照射するのに対し、太い3Dビームを一括照射します。

当院がスーパーPRKをパーク近視手術と改名したのは、術後のヘイズ対策や術直後の痛みを 改良した事によります。

この間、レーザー照射後にボーマン膜が再生する事実も明らかになりました。

ボーマン膜が再生しないとか、ヘイズ(角膜一過性混濁)が合併するといった10年以前の不正確な情報がサイトで見られます。

2000年にレーザー角膜屈折PRK手術が中央薬事審議会で

「ヘイズは一時的に発生するが、ヶ月で視力に影響を与えず100%安全で有効」と答申され、

我が国の厚労省が認可した事実と相反する不正確な情報です。その後、ヘイズは薬剤により予防可能となりました。

患者や消費者の利益に反する不正確なネット情報に注意を呼びかけたいと思います。

レーシッククリニックでフタに不具合が生じた場合は、手術をPRKに切り替えて完了させる現実があります。

レーシックはフタを作る為のリスクを有しますが、術後の痛みや回復が早いので広く採用されています。

しかし、手術が増えるに従い、「銀座レーシック事件」のような使い捨ての刃を使い回したことによる大量感染の発生や、

強度近視矯正後に「調節負担が過大と感じるレーシック難民に関する消費者庁の発表」という事実が明るみに出ました。

レーシックはフタを作った残りの角膜から矯正面を作るため、強度近視の場合に角膜の厚みが不十分になり、PRKのマルチゾーン照射による屈折移行帯を作れなくなりました。目の調節負担は増加したのではないかと考えられます。

スーパーPRKやPRKが、レーシックでは不可とされた強度近視の矯正に見直される時期が訪れました。

②従事する医師が近視手術を受け、患者の視点をもっていること。

良い近視手術を受けるためのクリニックの選び方

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従事する医師が近視手術を受け、患者の視点をもっていること

手術をする医師と術後の経過を見る医師が同一であり、長期的に見てくれるクリニックが望ましい。

眼科専門医による近視手術が望ましい。(眼科専門医は国の内外を問わず、第三者中立機関による認定資格が望ましい)

手術前に十分な説明をしてくれるクリニックが望ましい

過大な広告やクーポン発行等の金品授受紹介システムをネット上で繰り広げ、両目を同時に行う手術はレーシック難民につながる可能性があり、医療モラルとしても避けた方がよい。(201312月消費者庁発表)

両目を同時に行う手術はレーシックのハイテク技術の証のようにいわれてきたが、良好な視力を得るための屈折調節系のバランスを考えると、片目ずつ手術してくれる医療機関を患者さんが選択するべきであろう。

特に40歳以上の方や強度近視の方についていえるであろう。レーシック難民の原因はレーシックによる驕りかもしれない。

近視手術の世界的権威、フィヨドロフ博士との出会い

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フィヨドロフ博士とは?

フィヨドロフ博士は、白内障、近視、乱視、遠視、老眼の分野を中心に、医学の歴史に大きな貢献をしました。彼の功績なしに、現在の顕微眼科手術の進歩はありえませんでした。
眼科医療におけるそれまでの常識も変わらなかったと思います。

医学の常識は変わる

医学の常識は、時とともに変化します。
現在、白内障の治療には眼内レンズが当たり前です。しかし、過去には「眼の中に、異物であるレンズを入れるなど、とんでもない!」と受け入られなかった時期がありました。

同様の現象は、今、近視手術にも起こっています。
一部の反対勢力が「眼にレーザーを当てるなど、とんでもない!」と迷信に近い、抵抗を示しています。
(銀座レーシック事件をテコに、近視手術の広がりを阻止しようとしているように見えます。)

日本における医学の常識を変えたい―医療のペレストロイカ―

スヴャトスラフ・フョードロフ

私はモスクワに留学していたので、フィヨドロフ博士と出会いがありました。

フィヨドロフ博士のRK手術を受けました。その後、フィヨドロフ博士に師事し、近視手術を日本に伝えるために、参宮橋アイクリニックを開設しました。日本の近視手術における、医学の常識を変えようと決意しました。フィヨドロフ博士は、参宮橋アイクリニックを始めとする、多くの日本の病院と協力提携し、白内障や近視手術の素晴らしさを伝えました。

『医療のペレストロイカ 近視手術の生みの親 フィヨドロフ博士の人と仕事』を執筆

フィヨドロフ博士の主な功績

  • 白内障手術のための眼内レンズ開発を世界のトップ 6人の医師でも、特に先駆けて行った。
  • 近視手術としての、RKを完成。
  • 近視手術としての、PRKを開発。
    ※ロシア式「太いビーム」を使用した、プロファイルシリーズを開発。
  • 強度近視手術用の有水晶体レンズの開発。
  • 白内障手術のために、超音波フェイコに変わる、レーザーフェイコを開発。
  • 進行性近視に対して、「進行予防ワクチン」を開発。
  • 遠視、老眼のための角膜熱形成術を開発。
  • ソ連の医療のペレストロイカを敢行したリーダーでもあり、大統領候補にのぼりつめた
  • 国外に眼科手術医療船・医療バス、多くの眼科医療センターを開設、経営した。
    (「なるほど・ザ・ワールド」で紹介された)
  • フランスのパリ、サンマリノ共和国、ジブラルタル、イエメン、アラブ首長国連邦のドバイ、キューバのハバナ、中国の大連郊外、ベトナムのハノイ、日本では参宮橋アイクリニックと協力関係を持ちました。
  • フィヨドロフ博士は、ロシアの民主化にも大きな足跡を残しました。ソ連崩壊後のロシアでは、1995年下院国家会議代議員に当選。1996年6月、ロシア大統領選挙に立候補しました。

フィヨドロフ博士を偲ぶ会

2000年6月2日、フィヨドロフ博士は、ヘリコプター事故で急逝しました。72歳でした。
我国においても博士に師事した眼科医や手術を受けた患者が多く、博士を偲ぶ声が強く、2000年8月8日生誕73年に際し、ロシア大使館と参宮橋アイクリニック、近視手術友の会と共同で「フィヨドロフ博士を偲ぶ会」を催行しました。

当日は宇都宮から奈良、大阪まで約70名の先生方や患者さんが集まりました。会場中央にフィヨドロフ博士の遺影が飾られ、その横に屈折矯正手術の原型を考案された順天堂医科大学の佐藤勉博士のお弟子さんでもある、中島章名誉教授から贈られた花束と心のこもったメッセージが供えられました。

フィヨドロフ博士に1分間の黙祷を捧げ、在日ロシア大使館、参事官の挨拶で始まりました。そして、1983年に日本人として初めてフィヨドロフ博士からRK手術を受け、その後フィヨドロフ博士に師事した私と、その際に立ち会って手術をマスターした初代参宮橋アイクリニック若山久院長が弔辞を述べました。

続いて、レオニ―ド・フェドセビッチ・リンニク教授(フィヨドロフ研究所所長代理)のメッセージを、来日中の同研究所所員のカナニェンコ・アレクサンドル氏が、代読しました。

また、偲ぶ会の発起人や故人と交流のあった先生方にもお言葉をいただきました。
下記にて、紹介させていただきます。

■東海大学医学部 尾羽沢 大 教授

尾羽沢さんは、1993年にフィヨドロフ博士が来日し、東海大学を訪問された折に、交流を深めました。 フィヨドロフ博士が、白内障眼内レンズに始まり、屈折矯正手術をここまで広められ、今日の基礎を作られた経緯についてお話いただきました。

■環境評論家 船瀬 俊介氏

船瀬さんは、1985年にRK手術受け、その後の近視手術の変遷をウォッチングしています。著書『買ってはいけない』がベストセラーになりましたが、その中で「コンタクトレンズは買ってはいけないに該当するのではないか」というお話でした。科学分野の情報空洞化を防いだフィヨドロフ博士のような人を失って、大変残念だというお話でした。

■一ツ橋大学文学部 中村 喜和 名誉教授

中村さんは、フィヨドロフ博士と、同じロマノソフ金メダル賞を日本人として初めて授与されました。 ロシア国内での博士の人気は、我国の長島茂雄氏に匹敵するというお話でした。

■岐阜大学医学部 早野 三郎 名誉教授

早野さんは、我国の白内障眼内レンズのパイオニアの1人です。フィヨドロフ博士の来日時に師事されました。 1978年、ソ連を訪問した折に、フィヨドロフ博士の人間臭さに触れたエピソードを紹介していただきました。

■奈良県立医科大学 西信 元嗣 名誉教授

西信さんは、フィヨドロフ博士の眼内レンズ、屈折矯正手術には常に興味を持ち続けられ、1996年にはフィヨドロフ研究所イルクーツク分院で、日露医学シンポジウムの座長を務められました。フィヨドロフ博士が、経済的に厳しかったソ連時代に生き、フィヨドロフ研究所のイルクーツク分院という偉業の一部を通し、成し遂げた素晴らしさの一端を、肌で感じたとの感想を語られました。(西信先生は、後に初代神奈川アイクリニックの院長を務め、レーシックの普及に尽力されました)

■眼科三宅病院院長 三宅 謙作 博士

三宅さんは、1978年に早野博士と共にフィヨドロフ博士を日本へ招聘し、名古屋三宅病院でフィヨドロフ博士によるライブサージャリーを実施しました。2000年1月28日に我が国厚生省が認可した、レーザー屈折矯正手術を学会場で公開しました。 フィヨドロフ博士は、米国を中心とする学者の間で評価され、人気が高く、手術が非常に上手であったと紹介されました。

■臨床眼科研究所 百瀬 皓 博士

百瀬さんは、1970年代よりフィヨドロフ博士の日本における臨床眼科分野のパートナーとして活発な活動をしました。事故直前まで、フィヨドロフ博士の技術を日本に紹介して来られました。 献杯の辞と、フィヨドロフ博士との交わりについて語られました。

偲ぶ会の発起人の挨拶の後、1995年にロシア国内でゴールデンタイムに放映された人気番組「男と女」に出演したフィヨドロフ博士のビデオ(河尻幸利氏、石井ターニャ氏吹き替え)やフィヨドロフ博士関連のスライドショー(赤澤俊雄氏作成)も大変好評でした。写真等資料を提供して下さった方々に深くお礼を申し上げます。

最後に、フィヨドロフ博士の偉業を称え、モスクワ顕微手術眼科研究所に、ロシア保健省よりフィヨドロフ記念研究所の名称が贈られ、また葬儀が行われた教会(プラターソワ村のフィヨドロフ博士出資により改築された)の隣にフィヨドロフ記念館の建設計画が明かされました。
エルビス・プレスリーの命日に、ファンが生地メンフィス参りを行っている様に、「フィヨドロフ博士を偲ぶ会」のメンバーも、モスクワ訪問をしたいとの話が出て閉会になりました。

2000年10月20日、国際屈折矯正手術学会(テキサス州・ヒューストン)は、博士の功績を頼彰しました。
2010年9月14日、国際屈折矯正手術学会(フランス・パリ)は、「博士没後10周年記念講演会」を開催しました。

モスクワ顕微手術眼科研究所では、毎年6月にフィヨドロフ博士を偲ぶ、記念学術講演会を行っています。

モスクワ顕微手術眼科研究所(Fyodorov Eye Centers)と全ロシアにおける12の分院

ロシア・モスクワ市にある故フィヨドロフ博士の設立された顕微手術眼科研究所
http://eng.mntk.ru/

FYODOROV EYE CLINIC

http://www.space.ru/emc/

スヴャトスラフ・フョードロフ(Wikipedia)

http://ja.wikipedia.org/wiki/スヴャトスラフ・フョードロフ

多焦点レンズと単焦点レンズ

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多焦点レンズと単焦点レンズについて

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