1963年、ロシアのN・バーソフ博士は、(左写真の右側)レーザー分野での貢献で、同僚のA・プロホロフ博士、米国のタウンズ博士とともにノーベル物理学賞を受賞しました。
1970年代に入るとN・バーソフ博士は、発熱しないフッ化アルゴンの励起エキシマレーザーを開発しました。コールドレーザーはIC回路基盤の加工分野で広範に普及しました。
1985年、米国のステファン・トロッケル医師が、エキシマレーザーをフィヨドロフ式RK近視手術に使用し、レーザー近視手術が幕を開ました。
2000年、厚労省が太いエキシマレーザービームを照射(以下、「太いビーム」)する、米国ビシックス社製器械20/20の使用を認可し、わが国の近視PRK手術は、公認されました。レーザーを円形の太いビームに加工、パルス毎に全域に一括照射するパルス照射方式でした。
過去のある時期、「太いビーム」方式に関し、米ソで開発競争が行われました。米ソの開発競争は、宇宙船だけではなかったのです。
米国では、タウントン研究所、後のサミット社やビシックス社が開発に関わりましたが、(米国式)「太いビーム」照射は、セントラルアイランドと呼ばれる角膜中央の削り残しが、照射時に立ち昇る蒸散気流により生まれました。(Journal of Japanese Ophthalmological SocietyVol.112 Number 6 June 2008屈折矯正手術の現状 西田幸二)
その後、対策に追われ、生産を中止しました。対策とは、オブラート様の物質でコンタクトレンズ状のエリデブルマスクを症例毎に製作し、、マスクを通して照射することにより、蒸散気流の影響をおさえるという、煩雑かつ高価な方法でした。
一方、旧ソ連で、独自の太いレーザービーム(以下、「ロシア式太いビーム」)が開発されており、原理が異なる照射で、液体もしくは気体状の媒体が介在する為、蒸散気流の影響を受けず、セントラルアイランドの心配がありませんでした。フィヨドロフ研究所と、A・プロホロフ博士は近視レーザー機器プロファイルシリーズの生産を本格化させました。
プロファイルシリーズは、「ロシア式太いビーム」(三次元に相当する)をフラップレスレーシック用に開発し、アインシュタイン理論が示す時間という四次元因子を掛け合わせ、非球面である角膜の矯正に取り組みました。ガウス曲線状(すり鉢の底状)に高出力エネルギーを分布させた「ロシア式太いビーム」は、角膜の切削でなく、蒸散(蒸発)をします。蒸散で得たすり鉢の底状矯正面は、水晶体系調節に余分な負担をかけない多焦点性であり、老眼が早まることもありません。
「ロシア式太いビーム」は、レーザー照射中、浸達度を角膜組織中で視認が出来、ワンステップで照射を行ないます。 組織としての角膜は、洋菓子の“ミルフィーユケーキ様で”、クリーム、パイ、クリームの層状にあります。上皮(上皮基底膜)、ボーマン膜、実質、デメス膜、内皮細胞の5層構造になっています。最外側の上皮は、厚さ薄さ、表面の乾燥湿潤の度合いが様々で、目視なしでの正確な定量照射は、困難をきわめます。
しかし「ロシア式太いビーム」は、一括照射の為、顕微鏡下の変化を見わけることで、正確な定量照射を可能にしました。組織密度の差が蒸散速度の違いとなって現れ、視認出来ます。組織密度が低い上皮は、蒸散速度が淡雪の様に早く、次に、上皮基底膜にビームが到達すると、パイ状の組織は密度が高く、蒸散速度は遅くなり、蒸散が停滞して見えます。その次に、密度が低いボーマン膜で、再びクリーム状に蒸散します。術前に角膜上皮、実質の予想照射数をインプットしますが、蒸散を視認しながら、最終決定をします。例えば、やや厚い上皮や湿潤な表面なら、上皮の照射数をリアルタイムに追加します。