手術でメガネがいらなくなるって本当!?:お知らせ

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1989年7月21日

手術でメガネがいらなくなるって本当!?

カテゴリー: メディア紹介 — admin

1989.7.21 週刊朝日 「手術でメガネがいらなくなるって本当!?」

「パイロットには不適」と運輸省

ソ連で開発された近視矯正手術が、日米を中心に急速に広まっている。RKと呼ばれるこの角膜切開手術によって、眼鏡やコンタクトレンズとおさらばした人は国内で3000人、世界で40万人以上ともみられている。が、一方で、運輸省はこの5月から、RKを受けた者をパイロットから排除する方針を打ち出した。

果たしてRKは近視に悩む者にとって福音なのか、それともまだまだ問題があるのか。

消費者問題ジャーナリストの船瀬俊介さん(39)は、このRK(Radial Keratotomy)手術を今年2月末から4月末にかけて右目、左目の順に片方ずつ受けた。左目の手術からもすで2カ月以上たつが、「いま、気分はオートフォーカス。遠くも近くもクッキリ見えて最高です」と喜んでいる。かつて0.04だった右目は、いまや1.5になり、0.06だった左目が1.0にまで回復したのだから無理もない。なにしろ、以前は視力検査表の一番上の大きな文字か何歩も前進しなけれは読めず、大学時代から分厚いレンズの眼鏡を手放せなかった。

手術を受けたきっかけは、、昨年初め、ある会合で、奥山公道医師(41)と出会い、熱心に勧められたことだった。

「手術で近視が治る」という話は以前、耳にしたことがあるし、「下町の赤ひげ」と呼はれていた奥山医師の父とも親しかった船瀬さんだが、最初はやはり半信半疑で、特に、「角膜を切る手術だと聞いてからは怖くて、返事をのらりくらりと引き延ばしていました」という。しかし、消費者運動の活動家であり、好奇心旺盛な船瀬さんは、その後も手術の安全性や効果について、奥山医師らに積極的に“取材”。「すでにアメリカで30万例、ソ連で12万例ほど行われていて、重大な後遺症はゼロ、失明例は麻酔のやりすぎによる1例だけで、これも手術以前の問題だし・・・・、それに、自分自身この手術を受けて近視を治しておられる奥山先生の人柄を信頼したんです」と、今年初め決心したそうだ。

手術の原理はこうだ。近視の大部分は、水晶体と角膜のカーブが強すぎるために起きる屈折異常なのだが、眼鏡やコンタクトレンズのように目の前にレンズを置いて修正するのではなく、角膜そのものを平べったくして屈折率を変えようというもの。図のように、角膜の近視の度合いに応じ、光の通る中心を残して放射線状に4本から18本の切り込みを入れると、眼内圧で角膜のふちが盛り上かり、カーブがなだらかになって正視に近づくというわけだ。

「手術時間は、15分から20分ぐらい。その日は眼帯をして帰りますが、早い人で翌日から眼帯をはずせ、虫歯の手術よりシンプルなんですよ」と、奥山医師はこともなげだ。船瀬さんも、「近くにうまいう-メン屋がありますから、元気づけに帰りに食べてていったら、などと先生と冗淡を交わしながら、あっという間に終わりました。目薬で麻酔をしているからちっとも痛くはないし、メスの先のようなものがぼんやり見えて、いよいよ始まるな、と思う間もなく、綿棒で数十メートル先の天窓を拭いているような、他人事のような感じ。まるで『2001年宇宙の旅』をしているようでした」と、体験を振り返る。

実は同様の手術は、戦前から昭和20年代末にかけて順天堂大学の佐藤勉教授(故人)らによってなされてきた。が、この術式は釣り針のような独自のメスで角膜の内側からも切り込みを入れるやり方だったため、再生不能の角膜の内皮細胞を痛めてしまい、術後数年から10年以上たって、水泡性角膜症で、失明症が続出するという不幸な結果におわっていた。
その後、昭和30年代からはコンタクトレンズが普及しだしたこともあり、この手術自体がタブー化し、忘れ去られていった、ともいえよう。

ペレストロイカで大産業に成長

それが1960年代末、ソ連の眼科医、S・N・フィヨドロフ博士らによる研究、開発で、内皮細胞を傷つけないよう角膜の前面だけに切り込みを施すという、より弊害の少ない新しい術式として甦ったのだ。
日本などと比べ、コンタクトレンズや眼鏡自体、まだまだ一般庶民には入手しにくいソ連では、この技術はあっという間に広がった。
5月末、国際白内障学会のために来日したフィヨドロフ博士の一番弟子、N・A・イワノヴナ女史らによれば、ソ連では、1974年から咋年末までに12万1千例のRK手術が行われたが、それによる合併症は0.08%。その内容はへルペス菌による術後感染症や乱視の発生が主だった。

ソ連には、ここ数年、ヨーロッパや日本からもツアーを組んで患者がくるようになり、このフィヨドロフ式RK手術は年間7千5百万㌦産業に成長。特にぺレストロイカ後は、重要な外貨獲得産業として、ゴルバチョフ政権からも高く評価され、いまではフィヨドロフ博士の研究所は、国内に9つのセンターと2つの手術機械工場を持つに至り、年間22万人を手術する能力を整えたという。
手術室では、ベルトコンベヤーで運ばれてきた患者に対し、5人1組の医師たちが、5分の1ずつ分担した手術の行程を、ポップ音楽を聴きながら処理しているというのだ。

アメリカでは、1978年、学界の専門誌でこの術式を知ったデトロイトのL・ポアーズ医師ら、眼科の開業医たちがとびつき、それぞれの医師が改良を加えながら、ソ連を凌ぐ勢いで広まっている。

日本では、モスクワ留学中にこの手術を知った奥山医師自身が、1983年4月にフィヨドロフ博士執刀による日本人患者第一号となり、自らもその技術を習得したうえで、帰国後、都内にRK手術専門の診療所「参宮橋アイクリニック」を開設した。
奥山医師は、代々医者である同家に伝わる家訓「新しい治療法は可能な限り、自己体験して安全、効果を確認せよ」に基づき、夫人や妹、その夫など、家族や親族十人に同じ手術をし、回復視力の程度の差こそあれ、いずれも成功。同クリニックでの約1200の手術例のなかにも、「こちらの禁止を無視して術後すぐに入浴、飲酒して感染症になりかけた1例を除いて、失敗例も合併症もゼロ」と、胸を張る。
一方、群馬県桐生市の百瀬皓医師は、これより早く、1981年10月から、アメリカ型の術式を取り入れてこの手術を始め、これまでに、やはり1200例を処置しているという。

このほかRK手術を行う医師は関西や北九州に数人いるといわれるが、日本の眼料学界にはまだこの手術の安全性などに批判的な意見も根強いため、名前を出したがらない医師が多く実態がわかっていない。

遠視、乱視の心配 効果に絶対はない

聖路加国際病院の山口達夫・眼科副医長は、この手術が米国で爆発的に広まったとき、サルを使った実験で、角膜表面だけを切っても内皮細胞がやはり一定程度は滅少することを発見、早くから警告していた。
「この手術は確かに効果がある。さらに、手術を受けた人の70~80%の人が、受けてよかった、と思っているデータがあることも無視できない」と、山口医師は一定の効果を認めながらも、次のような、心配される問題点を列挙する。

①角膜のカーブの強さには固体差が大きく、どの程度切れはどの程度よくなるか、というコントロールが困難で、術後も近視の眼鏡をかけねばならなかったり、下手をすれば、矯正しすきて遠視になったりする。
②角膜切開による歪みで乱視になる。
③切開した跡のキズで光が乱射し、グレアと呼はれる眩しさが生じ夜間の運転など難しくなる。
④視力が安定せず、午前と午後にもかなりの差がでる。
⑤切開跡のキズの治りがこれまでの予想以上に遅く、くっついたあとの強さについても十分なデータがない、などだ。

米国の国内追跡調査でも、重大な合併症は3例しか報告されておらず、「おおむね安全」とされているが、山口医師は、「文献上3件で、必ずしもすべて追跡しきれているかどうか」と懸念を表明する。というのも、米国ではRK開始後、数年して訴訟が続出したことや、ユナイテッド・エアラインで以前はパイロットがこの手術を受けるのに奨励金を出しながら、その後、手術自体を禁じ出したこと、米軍では一貫して禁じていること、などがあるからだ。

そうしたなかで、運輸省航空局は局長通達を出して、パイロットの身体検査マニュアルを変更、5月7日からはRK手術を受けていれば即、不合格とみなす措置をとった。国内での、ここ数咋のRKの急速な広がりに対処してのことだという。
この措置を決めた航空審議会航空身体検査基準部会の松崎浩・慈恵医大教授や所敬・東京医科歯科大教授は、それぞれ、「極限状態を想定されるべきパイロットにとっては、まだRKが適性といえる時期ではない」「グレアの問題など、合併掟や副作用の報告が多すぎる」とする。

こうした指摘に対して奥山医師らRK推進の医師らは、「視力の不安定さはふつう3カ月、グレアは良い人でも10カ月で、落ち着き、なくなる。外傷に対する強さも、RKを二回受けたパイロットが激しい事故で顔に衝撃を受けても、目だけは大丈夫だったという報告まである」と、データを挙げて反論。

「それよりも、RKをしたこともない医師ばかりで偏見の多い学会の意向を汲んだ政治的意図さえ感じる。頻繁な身体検査やグレア・チェックで不適格者は十分排除できるのに、最初からすべて不合格にするというのは、この手術への世間の偏見を煽ろうとするものだ」と運輸省側に抗議している。
運輸省航空局航空従事者医学適正管理室は、「決してRKを敵視しているわけではなく、RKを受けた方で問題ないとされる方は、医師の証明資料をつけて大臣判定に持ち込んでいただけば、そこで審議されるわけです」という。が、奥山医師らによれはば、すでに少なくとも20人以上のRK手術を受けたパイロットたちが日本の空を飛んでいる。クリニックでの取材中にも21歳の防衛大生が、術後の検査にきていた。

内証でくる航空自衛隊志願者も

「どうしても航空自街隊で操縦桿を握りたくて」と、大学には内緒でこの手術を受けたそうだ。

故佐藤教授の角膜両面RK手術の追跡調査をしてきた金井淳・順天堂大助教授は、「確かに米国で公表された術後五年間のデータをみても、角膜内皮への影響は案外少なく、われわれが危惧していたほどではなかった。が、それにしても、近視というだけでほかは正常な目を傷つけること自体、私は賛成できない」という。

これに対し、奥山医師はいう。
「私は自分の娘に対しても、親にもらった体だということで、ピアスをすることさえ禁じる人間です。この手術はある程度幅をもって良くなる手術だから、満足がいくかどうかは、やる前に患者がどれだけ理解し、納得するか、なんです。そういう意味で、いま、盛んにいわれているIC(インフォームド・コンセント=患者側に情報を公開しての、手術への同意)が最も大切なものの一つなんです。科学的議論なら大歓迎です。ただ、この手術への中傷や妨害をやめてほしいのです」

百瀬医師は、
「私は眼鏡、コンタクトと並ぶ近視の矯正手段の1つとして、RKを選択的に行っているにすぎない。リスクとメリットを、いつも秤にかけながらね。もし、術後の低矯正や過矯正まで合併症に入れると、30%ぐらい(の不正碓さ)になる」というのだ。

近視というのも、病気というよりは、背が高い、低いというのとおなじ一つの個性だ、という考え方さえある。あとは一人ひとりの判断と哲学の問題だろう。

本誌・本田 雅和

1989年5月3日

1983~1989年度分

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日付 雑誌・新聞名 会社 ページ 執筆 内容
1983. 2. 5 MY LIFE マイライフ社 22 奥山 あなたの目健康ですか?
驚異のRK手術であなたの近視も治る。
1984.2.15 日本医師会雑誌 741 金井先生
百瀬先生
近視手術における放射状角膜切開術
1985. 4. 5 東京新聞 夕刊 16 奥山 ソ連式近視矯正 日本でも成功
家族ら13人治療
モスクワで開眼の医師
1985. 5.12 サンデー毎日 毎日新聞社 31 奥山 15分30万円で近視が治る
ソ連式矯正手術のビックリ!
1985. 6. 3 ありがとう浜村淳です 毎日放送 ラジオ 奥山 ソ連式近眼矯正手術について語る
1985. 8 WITH 講談社 8 奥山
若山
近眼は手術で治る
内藤るりかさん体験談
1985. 9.28 東京新聞 6 当院 近視手術
将来の副作用どこまで・・・
1985.10 YK高一時代 46 奥山 近眼は手術で治る時代です
1985.12.10 日経メディカル 日経マグロウヒル 95- 奥山 眼科の治療・訓練法 3つの少数派
1986. 4. 7 週刊大衆 双葉社 グラビア 奥山 近視が手術で治るって本当?
ソ連ツアーの日本人達
1986. 6.29 週刊読売 読売新聞社 98 佐藤
奥山
週読みクリニック
近視の手術 安全なフィヨドロフ式
1986.10.15 今日のソ連邦 新時代社 76 奥山 いずれ眼鏡は不要になる。
視力矯正手術の
フィヨドロフ教授が来日
1986.10.20 週刊大衆 双葉社 40 奥山 近視が日本でも治る!
1988. 5 QA 平凡社 72 奥山 「近視が手術で治る」って話、
聞かなくなったけどその後どうなったの?
1989. 1.14 デイリースポーツ デイリースポーツ社 6 奥山 全国の名医紹介 近視は手術で治る
1989. 2.14 週刊パーゴルフ 学研 115 西来
奥山
なんと手術で視力倍増に!!
1989. 4.21 デイリースポーツ デイリースポーツ社 6 奥山
須田
参宮橋アイクリニック
奥山院長に聞く最新医療情報
1989. 5.13 デイリースポーツ デイリースポーツ社 6 奥山
菊地
角膜手術で近視が治った!
日本でも3千余例
喜びのRK友の会の皆さん
1989. 6. 7 週刊テーミス テーミス社 10 奥山
船瀬
ソ連式「近視が手術で治る法」
が大評判
1989. 6.18 元祖 大疑問 平凡社 42 奥山 「近視が手術で治る」って話、
聞かなくなったけどその後どうなったの?
1989. 6.28 週刊テーミス テーミス社 44 奥山 ソ連式「近視を手術で治す法」
の効果を問う
1989. 7.21 週刊朝日 朝日新聞社 140 奥山 手術で眼鏡が要らなくなるって本当?
「パイロットには不適」と運輸省

1985年8月28日

「近眼は手術で治る!」内藤るりかさん体験談

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1985年8月発行 WITH

メガネやコンタクトがわずらわしくて仕方がないという人に、革命的ともいえる嬉しい情報をおとどけします。
そう、近眼が、簡単な手術で治ってしまうのです。上智大学に通う内藤るりかさん(写真の女性)が、読者代表としてこの手術に挑戦!驚くほど視力が回復しました。

手術で近眼治るなんて・・・ウソみたいな話である。上智大学外国語学部三年生の内藤るりかさん(二十二歳)も初めてその話を父親から聞かされたときは、半信半疑だった。
「だって、聞いたことないでしょ、そんな話。失敗して失明したらどうするのよ、なんて、はじめはとりあう気もありませんでした」
ところが、父親の話を聞くうちに、徐々に心を動かされる。何しろ彼女は、右目は1.5だが、左目は0.07しかない極度の近眼。コンタクトを持ってはいるが、「ついつい面倒で」使わないことが多い。

長時間、本やテレビを見続けると、頭がボオッとして、目が痛くなってくるし、左目の視界がほとんどないので、車を運転中に、左側のガードレールにぶつけてしまったこともある。おまけに、最近では、「目つきが悪くなった」「姿勢が悪い」と母親から注意されっぱなし。内心気に病んでいたところだ。

「メガネをかけるのは、美容上好ましくないし、かといって、コンタクトレンズを毎日つけたり、はずしたり、消毒したり・・・。一生続けるのもね。簡単な手術なら、受けてみようという気になったんですね」

以下は、内藤さんの手術前から手術、その後までを追ったレポートである。
まずはじめに、内藤さんが出向いたのは、二年近く前から近眼の矯正手術を実施している「参宮橋アイクリニック」(東京・代々木)の院長・奥山公道先生の自宅だった。
じつは、奥山先生の夫人と内藤さんのお父様が知り合い。そして、奥山先生と夫人は、自身がこの手術を受け、視力回復に成功していたのである。そんなことも、彼女の気持ちを積極的に動かすひとつの要因となったのだが、それにしても、日本ではまだ症例が少ないだけに、彼女も不安は隠せない。

内藤「どういう手術なんですか」
奥山「簡単に言えば、眼球の表面にある角膜に、メスで切れ込みを入れて屈折率を変えてしまい、近視の程度を弱めるんです」
先生はわかりやすいように図を書いて、原理を説明してくれた。
奥山「角膜を、中心部を三ミリ程度残して、放射線状に切り込むんです。そうすると角膜の周辺部は眼内圧の作用でふくれ、逆に角膜の中心部はしまって平たくなるんですね。これで角膜の屈折率が変わるんです」
内藤「角膜なんか切っちゃって、大丈夫なんですか」
奥山「それは心配ありませんね。傷口が安定すれば何の支障もありません。早い人で手術の次の日から、ふつうは三、四日くらいで、はっきり見えるようになりますね」
内藤さんは安心したのか、先生の渡してくれた文献などをめくりながら、
内藤「何本くらいきるんですか?」
奥山「近視の度合にもよりますが、少ない人は四本から六本、近視の度の強い人は十六本から十八本。本数だけでなく、切る深さも人によって違います。手術そのものは十五分から二十分で終わってしまい、血も出ないし、通院だけですむ簡単なものです」

奥山先生によると、ソ連のニコラエビッチ・フョードロフ教授が考案したこの手術は、ソ連では十年以上前から一般化しており、団体手術用の貸し切りバスまで登場している。
アメリカでも、現在盛んに行われており、専門医は三百人ほどいるらしい。
「ぼくは二年前にモスクワでこの手術を受けたんですが、両眼とも0.03の視力が0.5まで回復しました。メガネを手放せない生活から解放されて、本当に助かっています」
最後に、奥山先生の目の中をのぞかせてもらった内藤さん。見た目には傷もわからず、ふつう目とかわらないのに、すっかり安心したようす。手術を受ける決意をかためたようだ。

さて、奥山先生の説明を受け、納得した内藤さんは、さっそく「参宮橋アイクリニック」で予約をとる。手術前にまず検査、そして異常がなかったら、一週間後に手術だ。手術費用は片目で十五万円、両目で三十万円。他に検査費用として一万円がかかる。

申込者が多くて、検査日がなかなかとれなかったが、五月十五日(水)の午後四時から予約がとれた。当日は、ボーイフレンドの河辺くんも一緒だ。
「彼は最後まで反対だったんですよ。ちゃんと大学病院で調べたほうがいい、とか、まだ新しい手術だから、経過を見たほうがいいとか・・・。でも、奥山先生ご自身がなさってるんだし、それに、私、決めちゃったら迷わないんです」
と内藤さん。

心配そうな河辺くんを尻目に、検査室へ入って行った。検査は、まず目の屈折率をはかることから始まった。顕微鏡のお化けのような機械の前に座って、屈折率を調べる。近視の度合、乱視の有無を検査するのだ。乱視の場合は切れ込みの入れ方が変わってくる。
彼女は3.0ジオプトリーの近視、乱視はなし、ということだった。このジオプトリーというのは、焦点距離を表す単位で、数字が大きいほど近視の度が強いことを示している。

「ちょうど手術に適した近視の度合いだ」とは検査したドクターの話。
手術でいくら近眼が治るといっても、あまり度の進んだ近視は効果が期待できないのだそうだ。また、手術には年齢制限があり、二十歳から四十歳前後までとなっている。
眼球の半径、彎曲度の検査、眼底を特殊な顕微鏡でのぞいて、目の中の傷や病気の有無を調べる検査と続き、検査は二十分ほどで終了した。内藤さんはいずれの検査でも問題なし。

ここまではルンルン気分だった内藤さんも、眼圧と角膜の弾力性を調べるため、目の中に鉛の重りをのせられたときはびっくり。
「目の前に大きな物体が近づいてきて、思わず診察台のベットの上に、起き上がりそうになりました」

そのあと、急に不安になったのか、
「先生、メスで切られるときは、メスが目に見えるんでしょうか」
「そりゃ見えるさ。目を開けてるんだもの」
自分もこの手術を受けたことがある、という付き添いの看護婦さんも、
「でも大丈夫よ。麻酔かけられてて、目の前がボヤけてるから、キラキラと光るものが見えたときには、もう終わってるから」
ととりなしたが、さすがに動揺の色は隠せない。「痛くないですか?」「痛くないですか?」を連発。ドクターが目の大きさを測るため、ノギスを取り出したときも、何を勘違いしたのか、「うわあ」と大きな声を出して、のけぞってしまったほどだ。
帰りがけ、看護婦さんから、手術前と手術後の注意書きをもらう。手術当日は、手術後一週間ほど洗髪ができないので、シャンプーをすませてくること、手術後二、三日は顔はふくだけで洗えないこと、二週間は映画観賞や目を使う仕事はできないこと、などを言いわたされ、ちょっぴり不安そうな表情で帰宅していった。

内藤さんの手術は一週間後の五月二十二日(水)に決定。ところが、その間に、とある週刊誌に近眼矯正手術の後遺症で失明者が続出、という記事が掲載された。

編集部はさっそく、奥山先生に真偽を確かめた。
一部の報道では、過去に行われた近視矯正手術で、術後十年以上経過してから、水疱性角膜炎になり、失明者も出たということですが・・・。
「それは戦前から戦後にかけて、日本のある大学病院で行われていた手術のことです。この手術と我々の手術が違うのは、我々ののほうは角膜の内皮に切れ目を入れない、つまり、角膜の表面しか切らない、ということです」

奥山先生によると、角膜は上皮、ボーマン膜、実質、デスメ膜、内皮の五層の膜から構成されている。その大学病院で行われていた手術は、表面だけでなく、角膜の内側、つまり内皮の部分まで切れ目を入れていた。
このため、傷つけられた内皮から水が入り、角膜が濁る水疱性角膜炎を併発したという。
「フョードロフ教授のやり方は、内皮の手前の実質までしか切れ込みを入れていません。したがって角膜の細胞損失も最小限ですむわけです」
実際、一万五千件の手術例をもつソ連でも合併症による感染が二例と、深く切りすぎたため遠視になった例が一例報告されているだけで、水疱性角膜炎の事例は、まだないという。

どうやら、後遺症は杞憂にすぎなかったようだ。さっそく内藤さんに連絡すると、
「私、楽天家だから、先のことなんて心配してないんです。それに、奥山先生が自分で試して大丈夫だったんだから、平気でしょ」
と、なかなか落ち着いたものだった。観念(?)したのか、もうすっかり度胸をきめたらしい。
さて、手術の当日。午後八時の約束よりやや早めに、内藤さんはお母様と一緒に到着。仕事があって、来られないはずだった河辺くんも、心配だったのか、顔を見せていた。
ひっつめ髪にした内藤さんは、さすがに緊張した様子。前日はよく眠れたというが、口数はめっきり少なく、ドクターの注意を聞く顔も、ややこわばってみえた。
時計が午後五時を告げるといよいよ開始。ドクターが、殺菌ずみの包装紙に密閉された手術道具を、紫色の布の上にひとつひとつ並べていく。ハサミ注射器・・・。心配そうに、横で見守る内藤さん。最後にポロリとメスが・・・。
「あれで目を切るのかと、思わず逃げ腰になってしまいました。昨日までは、手術についてほとんど考えていなかったのに・・・。一瞬、とんでもないことをしてしまったんではないか、と不安が頭をよぎりましたね」
簡単な眼底検査と眼圧検査を終えたあと、彼女はベッドの上に横になる。左目のところだけがポッカリあいた大きな紫色の布が、顔にすっぽりかぶせられた。
初めに、目の消毒。緊張したのか、自分の手で目をさわってしまい、もう一度、やり直しだ。
「河辺くん、手を握ってて」
彼女に声をかけられ、河辺くんが横に座る。第一回の麻酔が、注射器による点眼で行われた。ひどくしみたのか、「いたーい」と声を出す。「薬ですからね、ちょっとしみますよ」と看護婦さん。
五、六分おきに、麻酔を点眼する。はじめは、薬が目の中に入るたびに、体をピクンとさせ胸を大きく上下させていた内藤さんも、だんだん落ち着いてきた。どうやら麻酔がきいてきたようだ。
五本目の麻酔をかけて、「どう?まだしみる?」とドクター。ピンセットで角膜をつまんで、痛くないのを確かめてから、まつ毛カーラーによく似た開瞼器で、まぶたと眼球を固定した。
「これからが本番なんですがね、目をキョロキョロさせたり、手を出したりしないで下さいね」とドクター。
ブルーの着色液を塗ったスタンプを、目の表面に押し、切れ込みを入れる部分に印をつけて、いよいよ、切開開始だ。ドクターがメスをとる。角膜をピンセットでつまむと、透明な膜がプリンのように動いた。手術用の顕微鏡で目をのぞきながらメスを入れる。

「その瞬間は、メスがキラキラと目の中に飛び込んでくるのがわかったけど、物を目のそばに近づけると、形がはっきりせず、ぼやけてしまうのと同じ、角膜を切っているのかそれともメスが近づいてくるだけなのかの違いもわからなかった。痛くはなかったけど、不気味な感じ・・・。正味三十分くらいの手術が一時間にも、二時間にも感じられました」
手術は、途中、麻酔薬や目の表面が乾かないための生理的食塩水を点眼しながら、続けられた。切れ込みは、全部で八本。

早い人なら、スタンプを押してから手術が終了するまで十五分で終わってしまうが、彼女は緊張のあまり、目をキョロキョロ動かしたりしたので、三十分と少し時間がかかってしまった。
「おしまいだよ。」とドクターの声。時計の針を見ると、六時半ちょうど。何だかんだで、手術室に入ってから、一時半が経過していたわけだ。
ほっとして、ベッドの上で目をつぶっている内藤さん。ガーゼをした左目は、たしかに痛々しいが、実際は、血が出たわけではなく、素人目には、ものもらいの治療ぐらいにしか見えない。
「麻酔が切れると、痛み出しますからね。睡眠薬で眠って下さい。朝起きて、まだ痛いようなら、もう一回、睡眠薬を飲んでもかまいませんよ」
看護婦さんから、睡眠薬やら痛み止めやら抗生物質やらをもらった内藤さん。クリニックを出るまでは、ニコニコしていたが・・・。
「さて帰ろうと、車に乗り込むあたりから、ジワジワと痛みが、目のあたりのあふれてきたんです。ズキン、ズキンと頭のほうまで響く痛みで、私は『うーん、痛いよ!』とわめきながら、車にあったティッシュを口にくわえて、もがいていました」
ほどなく、病院で飲んだ睡眠薬が効いて、深い眠りについた内藤さんは、車が家についたのも知らず、翌朝まで、こんこんと眠りつづけた。
内藤さんは、翌朝十一時に目を覚ました。眼帯をはずして、恐る恐る目をあける。
「視野がいつもより狭く感じられ、周辺部はボワーンとぼやけて見える。でも、目を凝らすとずいぶん先まで見えてきて・・・思わず、わあ成功だ!と叫んでしまいました」
午後、クリニックに行くと、経過は上々とのこと。痛みがまだ残っているので、その日は、一日、薬でウトウトしていた。
はっきり見え出したのはその翌日のことだ。
「イガイガした異物感は残るんですが、痛みはだいぶひいて、それに、遠くがはっきり見えるんです。嬉しくって、ついテレビや雑誌を読みまくって、母に叱られてしまいました。目が悪くなったらどうしようと思いましたが、それより嬉しさがつのって、ついつい目を使いすぎてしまったんです」

手術から三日目に、クリニックに行くと、何と視力が1.2に回復。その日から眼帯ははずせたが、一、二週間はまぶしい感じが残るので、サングラスをかけるように言われる。
四日目、体重計にのった内藤さんは、驚いた。体重が三キロも増えている。手術後、食べては寝る生活をくり返していたせいだろう。
「心配になって、夜中に起きあがって、ダイエットの本を読みまくったんです。そしたら、翌朝、目の前が少しかすんで・・・。目を使いすぎたかな、とちょっと心配になりました」
五日目からは、平常通りの生活にもどった。サングラスは手放せないが、大学の授業にも出席した。
「でも、みんなひどいんですよ。目の手術をした、と言ったら、二重の整形手術?って聞くんだから」

その後、一時的に、視界にかすみがかかった状態が現れたが、これは、角膜の傷口がまだ安定していないため。一週間ほどで、くもりもとれ、手術後二週間を経過したら、何の障害もなく、先の方まではっきり見えるようになった。
「朝起きて、目をあけたとき、世界がボヤーッとしてないのが、何より嬉しい。遠くの葉っぱの動きや、人の表情まではっきり見えて、世界が百八十度変わったみたい。コンタクトやメガネをすれば同じだ、と言う人がいますが、やはり、肉眼で見えるのとは、全然、世界が違いますね」
「この良さは、やった人でないと絶対分からない!」という彼女の言葉が印象的だった。

1985年5月12日

15分30万円で近視が治る「ソ連式」矯正手術のビックリ!

カテゴリー: メディア紹介 — admin

1985年5月12日発行 サンデー毎日

牛乳ビンの底のような渦巻きレンズメガネとはもう、おさらばだ。
たったの15分から20分。しかも痛みもなく、外来で済む。
そんな簡単な手術で近視が治ってしまうというソ連式近眼矯正手術。
すでに日本でも13人に実施され、「見える、見える」の大成功。
以下、そのびっくりリポートである。

角膜に放射線状切り込み

「私自身の近視は小学校二、三年生ごろから始まり、視力検査表の最上段の0.1が全く見えないほどひどいものでした。で、小学校時代はなんとかガマンしたメガネも中学ではどうしようもなく、以来、メガネ不可欠の人生でした。それも当然、牛乳ビンの底のような度の強いレンズで・・・」
それが今ではどうだ。メガネとはまるで縁なし。手術後、満二年を経たということで、鼻柱についていたはずの例の〝鼻押さえ〟によるくぼみも、すっかり消えてしまっている。
と、劇的な視力回復を果たしたのは、日本人として初めて、この近視矯正手術を受けた東京都世田谷区、奥ノ山医院の奥山公道先生(37)である。
さて、内科医である奥山さん、内科全般と大脳生理学を学ぶため、48年にモスクワの第二モスクワ医科大学に留学していた。

ちょうどその頃、モスクワの医学部学生から妙な話が伝わってきた。モスクワの眼科医が、近視を手術で治すことに成功した、というのだ。

強度の近視に悩んでいた奥山さん、その情報に飛びついた。そして調べてみると、それは、モスクワ眼科マイクロサージュリ研究所のスヴイエットスラフ・ニコラエビッチ・フョードロフ教授が、実施しはじめたばかりの手術だということがわかった。
だが奥山さん、その翌年の49年、同大卒業と同時に帰国してしまったのである。
しかし、その手術方法が奥山さんの頭からどうしても離れず、学会誌を取り寄せるなど検討した。「自分も受けてみたいなあ、と思ってたんですが、ソ連の臨床も始まったばかり。それに、何よりも目に対する手術だからと、慎重に様子を見ることにしました。

しかし、その手術方法が奥山さんの頭からどうしても離れず、学会誌を取り寄せるなど検討した。「自分も受けてみたいなあ、と思ってたんですが、ソ連の臨床も始まったばかり。それに、何よりも目に対する手術だからと、慎重に様子を見ることにしました。

文献研究による検討だけは続けた。が、そうこうするうち、55年ごろからはアメリカでも手がけられはじめ、成功している、との報告が入りだした。「よし、それじゃやってみるか、と決意しました」
だが、実際に手術が行われるまでに少し時間の経過があり、フョードロフ教授執刀のもとに奥山さんの目にメスが入れられたのは58年の4月19日であった。
まず、左目のみの手術だった。そして右目は、その一週間後に、と予定されていた。「ところが手術してもすぐによく見えるようになる、というものではありませんから、不安で不安でどうしようもなく、こりゃー大変なことをしちゃったのかなあ、と思い、国際電話で家族に、もう片方はどうしよう、やめようか、と相談したほどでした」

だがだが、だ。術後3、4日で状態が急変した。実によく、実にきれいに見えるようになってきたのである。「ピントが網膜上で合わされるようになったんですね。そうなると、手術してない右目が猛烈にじゃまになってくるわけです」

不安はきれいに消えた。予定どうり、右目を一週間後の25日に手術した。その結果右0.06、左0.08であった視力は0.5まで回復したのである。
ところで、実はこの手術に、奥山さんは知人の都内大学病院勤務眼科医に同行してもらい、手術にも立ち会ってもらった。さらにその後も同医師は現地に滞在、矯正手術のすべてを学んだ。
そして58年6月、奥山さんを中心に、ほかのスタッフ二人と渋谷区代々木に「参宮橋アイクリニック」を開設、現在に至っている。

日本人医師の手術方法を改良し

それにしても、実際、どのような手術が行われ、その結果、なぜ近視が治ってしまうのか。
開発者は、眼内レンズの権威としても著名な、前出のフョードロフ教授。
同教授、ひょんなことからこの手術方法を思いついた。
ある時、自転車に乗っていた少年が転倒し、かけていたメガネのレンズが割れたため角膜に傷をつけてしまった。ところが、治療が進むうちに近視が治ってきたことに気づく。
「角膜に傷つけると、近視が…」それがヒントになり、文献をさがすと、あった。それも日本のある大学病院の教授が15年から25年にかけて、すでにやっていたというのだ。
ところが、その日本人医師の手術では角膜内皮に傷がつき、合併症をもたらすということで敬遠されていた。

そこでフョードロフ教授がその問題点を研究したところ、角膜内皮を傷つけなければ危険はない、との結論に達したのだ。

この手術、ひとことでいえば角膜に何条かの切り込みを入れ、それによって矯正する、というやり方だ。切り込みは、角膜の中心から放射線状に入れられるが、近視の度や、あるいは乱視などの状態の違いでその切り込みの深さと本数が違ってくる。
角膜というのは、薄いところで0.6ミリ厚いところで0.8ミリの厚さがある。最も深く切り込む場合で、0.8ミリの4分の3までメスが入れられる。そして度が強ければ強いほど深く切り込まなくてはならない。

ただし切り過ぎると逆に遠視になるので、奥山さんたちは抑え気味に手術を行っているという。
次に、その放射線状での切り込み方だが、まず、角膜に、どのように切るか、を示す線をスタンプでつける。もちろん、その放射線は角膜の中心点から外側に開いていくが、角膜の中心部、直径やく3ミリの小円部にはメスを入れないようにする。

切り込み本数は深さ同様、その度の強さで異なる。少なければ4本から6本、多い場合は16本から18本といったところだ。度が強ければ強いほど、その本数が増えることはいうまでもない。
ソ連ではこの本数と深さをコンピューターで割り出すが、日本はまだまだデータが不足のため、手で計算している。

手術時間は極めて短い。手術前の視力、角膜のゆがみ、眼底・眼圧検査といった検査時間をのぞくと、手術そのものは片目で15分から20分といった程度だ。

したがって、入院する必要などは全くなく、通院でかまわない。手術当日だけは眼帯をしていなければならないが、翌日はとりはずせる。_というほど簡単なものだ。
視力の回復は、手術後翌日から見えるようになった人もいるが、術後3、4日という人もおり、個人差があるようだ。

そして視力そのものは、一時的にハネ上がるが、それも少しづつ落ち、半年後に安定する。また、手術直後は矯正され過ぎた“過矯正”状態になり、そのため遠視気味になるケースもあるが、これも心配はない。間もなく落ち着く
角膜に切り込みを入れるとなぜ近視が治るのか。奥山さんはこう解説する。「角膜を放射線状に切ると、角膜周辺部が目の眼内圧の作用でふくれ、逆に、角膜中心部はしまってきます。それによって角膜の屈折率が変化し、近視が弱まるか、あるいは全くなくなることさえ可能になるのです」日本でのこれまでの手術は13例。そのうち4例は、「新しい医療を始める時は、まず身内にやってみてから」という奥山さんの主義で、奥山さんの家族が“実験台”となった。そしてその結果は__

まず奥山さんの妻(37)の場合、右目4・5ジオプトリーだったものが1・0ジオプトリーになり、視力も0.03が1.0~1.2の最高状態になった。
この「ジオプトリー」というのは聞き慣れぬ言葉だが、焦点距離に関係した単位で、「焦点距離百センチの人」を1ジオプトリーという単位で表す。
したがって、例えば焦点距離50センチだと2ジオプトリーになり、2百センチなら0.5ジオプトリーというわけだ。

つまりジオプトリーの数字が大きければ大きいほど屈折率が大きい。すなわち近視の度が進んでいる、ということを意味する。
だから奥山さん夫人のようにジオプトリーが小さくなることは、大きな成果の証明なのだ。次に妹(34)は、ジオプトリーが右目6.0→1.25、左目6.0→1.75に、視力は右0.03→0.4、左0.04→0.3になった。
そしてその妹さんのご主人(36)の場合は、ジオプトリーが右目2.0→1.0、左目4.5→1.5、視力は右0.3→0.9、左0.04→0.7に変化した。
その義弟の妹(33)は、ジオプトリーは右目7.0→2.5、左目8.0→2.5となり、視力は右0.04→0.2、左0.04→0.2__という状態だった。

手術は原則として1回だが、左右眼の視力に差が出て、視力アンバランスが生じたような場合、再手術をすることが可能だ。「われわれは視力を0.6以上に回復させることを目標としていますが、13例中、未達成は3割程度でした。しかし0.6にまで達しない場合でも、手術前よりはるかに視力はよくなり、メガネも補助的な使用程度ですむようになり、ました。また、この手術で重要なのは、手術に失敗したとしても、それは現状より視力がよくならなかった、ということで、目が見えなくなるとか、視力がさらに落ちる、ということではありません」(奥山さん)

手術後3日目から運転も!!

すでにソ連では1万5千件の手術が実施されており、特に昨年からは1日100人の手術が可能なベルトコンベヤーシステムが開発さてたため、5人の医師で“1日100人手術”という離れ業までやっているそうだ。そんなソ連でも、これまでに合併症は感染症の2件、角膜を切りすぎて遠視になったのが1件、と報告されている。
一方のアメリカでも、現在盛んに手術が実施されているが、その実施数は把握されていない。しかし技術をマスターした医師は約300人にのぼる、といわれている。
ところで手術費用だがさすがに高く(ソ連は無料)、アメリカでは両眼で70万円から100万円。日本の参宮橋アイクリニックは、「片目で15万円、両眼だと30万円です。それプラス検査料1万円となっていますが、保険は適用されません」(奥山さん)
同クリニック、検査の予約だけで90件の待ちがあり、現時点(4月末)の申し込みで、検査を受けられるのは7月だそうだ。

最後に手術を受けた方お2人の喜びの声をお伝えしておく。

まず、イタリアの新聞社の日本特派員、ドメニコ・カーロレイさん(34)は、「右目0.02、左目0.01でコンタクトレンズやメガネがはなせなかった。しかもコンタクトが目に合わず、どうしようもありませんでした。この手術方法を7年前に何かで読み、知ってました。それでいつかやろう、と思ってたところ、友人に奥山先生を紹介されたのです。2年前最初に左目、1週間後に右眼をやり、今、右が1.2左が1.5の視力です。イタリアの新聞に、この体験を書きましたよ、ホントに」
もう1人世田谷区の主婦、須田八重子さん(40)となると、その喜び度も増幅する。「左右共に0.2の視力で、実は先生から、この程度なら慣らせば日常生活に問題ない、無理にやらなくとも、といわれました。でも目からくる偏頭痛と肩コリがひどくて、ひどくて…」
昨年12月と今年2月の2回に分けて手術を受けた。左目に8本、右目に4本の切り込みが入れられた。「先生に“今やりますよ”といわれ、思わず息を止め、“終わりましたよ”の言葉で手術終了に気づくぐらい簡単な手術でした。手術後2日目で完ぺきに視力が戻り、3日目から運転しましたの。もうッ、すばらしいッ!のひとことです」

1985年4月5日

ソ連式近視矯正 日本でも成功 家族ら13人治療

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昭和60年(1985年)4月5日(金曜日) 東京新聞より抜粋

ソ連式近視矯正 日本でも成功 家族ら13人治療

【筑波】茨城県筑波研究学園都市・科学万博会場のソ連館で紹介されている最先端医療を、日本人もソ連で無料で受けられると同館が発表して大きな反響を呼んでいるが、このなかの近視の矯正手術について、すでに二年前、日本人医師が同国で手術を受け視力を向上させていることがわかった。

ソ連医療の著しい効果を身を持って体験したこの医師はソ連式近視矯正法を導入した眼科医院を都内に開設、これまで十三人の患者の近視を矯正することに成功したという。

この医帥は、奥山公道さん。奥山さんによると、手術による近視の矯正は、48年ごろからモスクワ眼科マイクロサージェリー研究所のフョードロフ教授が始めた。アメリカでもすでに、この手術が取り入れられている。

1984年2月15日

近視手術における放射状角膜切開術

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1984.2.15 日本医師会雑誌 第91巻 第4号 より抜粋

■対談/ラジオたんぱ「医学講座」
近視手術における放射状角膜切開術

金井 淳(順天堂大学医学部眼科)  百瀬 皓(臨床眼科研究所)

金井 きょうは近視の手術、すなわち放射状角膜切開の手術についていろいろと百瀬先生にお話をお伺いしたいと思います。

先生、特にDr.Fyodorovとは友人だそうですけれども、この方法についてひとつご意見をお伺いしたいと思います。

百瀬 この手術は日本で生まれまして、先ほど先生は昭和34年とおっしゃいましたけれども、佐藤教授は、最初のリポートは昭和14年にお書きになっておられるのですね。それで、非常にその歴史の古い手術で、日本で生まれた手術です。

しかしながら、コンタクトレンズの出現とともに、この手術は日本で行うことは中止されまして、長い間忘れ去られていたわけでございます。

ところが、そのソ連のDr.Fyodorovが昭和47年に、角膜をメガネのガラスで多数切って怪我をした少年を診まして、その角膜の傷が治ったころには、今度は近視自体も治ってしまったということを発見し、この佐藤先生の方法を再確認いたしまして、さらに近代的な方法でやろうということでやられました。

アメリカへは今から5年前に、ボーレスというドクターがこの術式を紹介いたしまして、現在ではソ連とアメリカで非常に広く行われております。確かにこの手術では少なくとも5.0ジオプトリー前後近視を減らすことができますので、これ以外にしか方法がないというような症例には、やってみて興味のある方法ではないかと考えております。

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