「近眼は手術で治る!」内藤るりかさん体験談:お知らせ

1983年より近視手術専門医院・切らないレーシック
(旧 参宮橋アイクリニック)

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1985年8月28日

「近眼は手術で治る!」内藤るりかさん体験談

カテゴリー: メディア紹介 — admin

1985年8月発行 WITH

メガネやコンタクトがわずらわしくて仕方がないという人に、革命的ともいえる嬉しい情報をおとどけします。
そう、近眼が、簡単な手術で治ってしまうのです。上智大学に通う内藤るりかさん(写真の女性)が、読者代表としてこの手術に挑戦!驚くほど視力が回復しました。

手術で近眼治るなんて・・・ウソみたいな話である。上智大学外国語学部三年生の内藤るりかさん(二十二歳)も初めてその話を父親から聞かされたときは、半信半疑だった。
「だって、聞いたことないでしょ、そんな話。失敗して失明したらどうするのよ、なんて、はじめはとりあう気もありませんでした」
ところが、父親の話を聞くうちに、徐々に心を動かされる。何しろ彼女は、右目は1.5だが、左目は0.07しかない極度の近眼。コンタクトを持ってはいるが、「ついつい面倒で」使わないことが多い。

長時間、本やテレビを見続けると、頭がボオッとして、目が痛くなってくるし、左目の視界がほとんどないので、車を運転中に、左側のガードレールにぶつけてしまったこともある。おまけに、最近では、「目つきが悪くなった」「姿勢が悪い」と母親から注意されっぱなし。内心気に病んでいたところだ。

「メガネをかけるのは、美容上好ましくないし、かといって、コンタクトレンズを毎日つけたり、はずしたり、消毒したり・・・。一生続けるのもね。簡単な手術なら、受けてみようという気になったんですね」

以下は、内藤さんの手術前から手術、その後までを追ったレポートである。
まずはじめに、内藤さんが出向いたのは、二年近く前から近眼の矯正手術を実施している「参宮橋アイクリニック」(東京・代々木)の院長・奥山公道先生の自宅だった。
じつは、奥山先生の夫人と内藤さんのお父様が知り合い。そして、奥山先生と夫人は、自身がこの手術を受け、視力回復に成功していたのである。そんなことも、彼女の気持ちを積極的に動かすひとつの要因となったのだが、それにしても、日本ではまだ症例が少ないだけに、彼女も不安は隠せない。

内藤「どういう手術なんですか」
奥山「簡単に言えば、眼球の表面にある角膜に、メスで切れ込みを入れて屈折率を変えてしまい、近視の程度を弱めるんです」
先生はわかりやすいように図を書いて、原理を説明してくれた。
奥山「角膜を、中心部を三ミリ程度残して、放射線状に切り込むんです。そうすると角膜の周辺部は眼内圧の作用でふくれ、逆に角膜の中心部はしまって平たくなるんですね。これで角膜の屈折率が変わるんです」
内藤「角膜なんか切っちゃって、大丈夫なんですか」
奥山「それは心配ありませんね。傷口が安定すれば何の支障もありません。早い人で手術の次の日から、ふつうは三、四日くらいで、はっきり見えるようになりますね」
内藤さんは安心したのか、先生の渡してくれた文献などをめくりながら、
内藤「何本くらいきるんですか?」
奥山「近視の度合にもよりますが、少ない人は四本から六本、近視の度の強い人は十六本から十八本。本数だけでなく、切る深さも人によって違います。手術そのものは十五分から二十分で終わってしまい、血も出ないし、通院だけですむ簡単なものです」

奥山先生によると、ソ連のニコラエビッチ・フョードロフ教授が考案したこの手術は、ソ連では十年以上前から一般化しており、団体手術用の貸し切りバスまで登場している。
アメリカでも、現在盛んに行われており、専門医は三百人ほどいるらしい。
「ぼくは二年前にモスクワでこの手術を受けたんですが、両眼とも0.03の視力が0.5まで回復しました。メガネを手放せない生活から解放されて、本当に助かっています」
最後に、奥山先生の目の中をのぞかせてもらった内藤さん。見た目には傷もわからず、ふつう目とかわらないのに、すっかり安心したようす。手術を受ける決意をかためたようだ。

さて、奥山先生の説明を受け、納得した内藤さんは、さっそく「参宮橋アイクリニック」で予約をとる。手術前にまず検査、そして異常がなかったら、一週間後に手術だ。手術費用は片目で十五万円、両目で三十万円。他に検査費用として一万円がかかる。

申込者が多くて、検査日がなかなかとれなかったが、五月十五日(水)の午後四時から予約がとれた。当日は、ボーイフレンドの河辺くんも一緒だ。
「彼は最後まで反対だったんですよ。ちゃんと大学病院で調べたほうがいい、とか、まだ新しい手術だから、経過を見たほうがいいとか・・・。でも、奥山先生ご自身がなさってるんだし、それに、私、決めちゃったら迷わないんです」
と内藤さん。

心配そうな河辺くんを尻目に、検査室へ入って行った。検査は、まず目の屈折率をはかることから始まった。顕微鏡のお化けのような機械の前に座って、屈折率を調べる。近視の度合、乱視の有無を検査するのだ。乱視の場合は切れ込みの入れ方が変わってくる。
彼女は3.0ジオプトリーの近視、乱視はなし、ということだった。このジオプトリーというのは、焦点距離を表す単位で、数字が大きいほど近視の度が強いことを示している。

「ちょうど手術に適した近視の度合いだ」とは検査したドクターの話。
手術でいくら近眼が治るといっても、あまり度の進んだ近視は効果が期待できないのだそうだ。また、手術には年齢制限があり、二十歳から四十歳前後までとなっている。
眼球の半径、彎曲度の検査、眼底を特殊な顕微鏡でのぞいて、目の中の傷や病気の有無を調べる検査と続き、検査は二十分ほどで終了した。内藤さんはいずれの検査でも問題なし。

ここまではルンルン気分だった内藤さんも、眼圧と角膜の弾力性を調べるため、目の中に鉛の重りをのせられたときはびっくり。
「目の前に大きな物体が近づいてきて、思わず診察台のベットの上に、起き上がりそうになりました」

そのあと、急に不安になったのか、
「先生、メスで切られるときは、メスが目に見えるんでしょうか」
「そりゃ見えるさ。目を開けてるんだもの」
自分もこの手術を受けたことがある、という付き添いの看護婦さんも、
「でも大丈夫よ。麻酔かけられてて、目の前がボヤけてるから、キラキラと光るものが見えたときには、もう終わってるから」
ととりなしたが、さすがに動揺の色は隠せない。「痛くないですか?」「痛くないですか?」を連発。ドクターが目の大きさを測るため、ノギスを取り出したときも、何を勘違いしたのか、「うわあ」と大きな声を出して、のけぞってしまったほどだ。
帰りがけ、看護婦さんから、手術前と手術後の注意書きをもらう。手術当日は、手術後一週間ほど洗髪ができないので、シャンプーをすませてくること、手術後二、三日は顔はふくだけで洗えないこと、二週間は映画観賞や目を使う仕事はできないこと、などを言いわたされ、ちょっぴり不安そうな表情で帰宅していった。

内藤さんの手術は一週間後の五月二十二日(水)に決定。ところが、その間に、とある週刊誌に近眼矯正手術の後遺症で失明者が続出、という記事が掲載された。

編集部はさっそく、奥山先生に真偽を確かめた。
一部の報道では、過去に行われた近視矯正手術で、術後十年以上経過してから、水疱性角膜炎になり、失明者も出たということですが・・・。
「それは戦前から戦後にかけて、日本のある大学病院で行われていた手術のことです。この手術と我々の手術が違うのは、我々ののほうは角膜の内皮に切れ目を入れない、つまり、角膜の表面しか切らない、ということです」

奥山先生によると、角膜は上皮、ボーマン膜、実質、デスメ膜、内皮の五層の膜から構成されている。その大学病院で行われていた手術は、表面だけでなく、角膜の内側、つまり内皮の部分まで切れ目を入れていた。
このため、傷つけられた内皮から水が入り、角膜が濁る水疱性角膜炎を併発したという。
「フョードロフ教授のやり方は、内皮の手前の実質までしか切れ込みを入れていません。したがって角膜の細胞損失も最小限ですむわけです」
実際、一万五千件の手術例をもつソ連でも合併症による感染が二例と、深く切りすぎたため遠視になった例が一例報告されているだけで、水疱性角膜炎の事例は、まだないという。

どうやら、後遺症は杞憂にすぎなかったようだ。さっそく内藤さんに連絡すると、
「私、楽天家だから、先のことなんて心配してないんです。それに、奥山先生が自分で試して大丈夫だったんだから、平気でしょ」
と、なかなか落ち着いたものだった。観念(?)したのか、もうすっかり度胸をきめたらしい。
さて、手術の当日。午後八時の約束よりやや早めに、内藤さんはお母様と一緒に到着。仕事があって、来られないはずだった河辺くんも、心配だったのか、顔を見せていた。
ひっつめ髪にした内藤さんは、さすがに緊張した様子。前日はよく眠れたというが、口数はめっきり少なく、ドクターの注意を聞く顔も、ややこわばってみえた。
時計が午後五時を告げるといよいよ開始。ドクターが、殺菌ずみの包装紙に密閉された手術道具を、紫色の布の上にひとつひとつ並べていく。ハサミ注射器・・・。心配そうに、横で見守る内藤さん。最後にポロリとメスが・・・。
「あれで目を切るのかと、思わず逃げ腰になってしまいました。昨日までは、手術についてほとんど考えていなかったのに・・・。一瞬、とんでもないことをしてしまったんではないか、と不安が頭をよぎりましたね」
簡単な眼底検査と眼圧検査を終えたあと、彼女はベッドの上に横になる。左目のところだけがポッカリあいた大きな紫色の布が、顔にすっぽりかぶせられた。
初めに、目の消毒。緊張したのか、自分の手で目をさわってしまい、もう一度、やり直しだ。
「河辺くん、手を握ってて」
彼女に声をかけられ、河辺くんが横に座る。第一回の麻酔が、注射器による点眼で行われた。ひどくしみたのか、「いたーい」と声を出す。「薬ですからね、ちょっとしみますよ」と看護婦さん。
五、六分おきに、麻酔を点眼する。はじめは、薬が目の中に入るたびに、体をピクンとさせ胸を大きく上下させていた内藤さんも、だんだん落ち着いてきた。どうやら麻酔がきいてきたようだ。
五本目の麻酔をかけて、「どう?まだしみる?」とドクター。ピンセットで角膜をつまんで、痛くないのを確かめてから、まつ毛カーラーによく似た開瞼器で、まぶたと眼球を固定した。
「これからが本番なんですがね、目をキョロキョロさせたり、手を出したりしないで下さいね」とドクター。
ブルーの着色液を塗ったスタンプを、目の表面に押し、切れ込みを入れる部分に印をつけて、いよいよ、切開開始だ。ドクターがメスをとる。角膜をピンセットでつまむと、透明な膜がプリンのように動いた。手術用の顕微鏡で目をのぞきながらメスを入れる。

「その瞬間は、メスがキラキラと目の中に飛び込んでくるのがわかったけど、物を目のそばに近づけると、形がはっきりせず、ぼやけてしまうのと同じ、角膜を切っているのかそれともメスが近づいてくるだけなのかの違いもわからなかった。痛くはなかったけど、不気味な感じ・・・。正味三十分くらいの手術が一時間にも、二時間にも感じられました」
手術は、途中、麻酔薬や目の表面が乾かないための生理的食塩水を点眼しながら、続けられた。切れ込みは、全部で八本。

早い人なら、スタンプを押してから手術が終了するまで十五分で終わってしまうが、彼女は緊張のあまり、目をキョロキョロ動かしたりしたので、三十分と少し時間がかかってしまった。
「おしまいだよ。」とドクターの声。時計の針を見ると、六時半ちょうど。何だかんだで、手術室に入ってから、一時半が経過していたわけだ。
ほっとして、ベッドの上で目をつぶっている内藤さん。ガーゼをした左目は、たしかに痛々しいが、実際は、血が出たわけではなく、素人目には、ものもらいの治療ぐらいにしか見えない。
「麻酔が切れると、痛み出しますからね。睡眠薬で眠って下さい。朝起きて、まだ痛いようなら、もう一回、睡眠薬を飲んでもかまいませんよ」
看護婦さんから、睡眠薬やら痛み止めやら抗生物質やらをもらった内藤さん。クリニックを出るまでは、ニコニコしていたが・・・。
「さて帰ろうと、車に乗り込むあたりから、ジワジワと痛みが、目のあたりのあふれてきたんです。ズキン、ズキンと頭のほうまで響く痛みで、私は『うーん、痛いよ!』とわめきながら、車にあったティッシュを口にくわえて、もがいていました」
ほどなく、病院で飲んだ睡眠薬が効いて、深い眠りについた内藤さんは、車が家についたのも知らず、翌朝まで、こんこんと眠りつづけた。
内藤さんは、翌朝十一時に目を覚ました。眼帯をはずして、恐る恐る目をあける。
「視野がいつもより狭く感じられ、周辺部はボワーンとぼやけて見える。でも、目を凝らすとずいぶん先まで見えてきて・・・思わず、わあ成功だ!と叫んでしまいました」
午後、クリニックに行くと、経過は上々とのこと。痛みがまだ残っているので、その日は、一日、薬でウトウトしていた。
はっきり見え出したのはその翌日のことだ。
「イガイガした異物感は残るんですが、痛みはだいぶひいて、それに、遠くがはっきり見えるんです。嬉しくって、ついテレビや雑誌を読みまくって、母に叱られてしまいました。目が悪くなったらどうしようと思いましたが、それより嬉しさがつのって、ついつい目を使いすぎてしまったんです」

手術から三日目に、クリニックに行くと、何と視力が1.2に回復。その日から眼帯ははずせたが、一、二週間はまぶしい感じが残るので、サングラスをかけるように言われる。
四日目、体重計にのった内藤さんは、驚いた。体重が三キロも増えている。手術後、食べては寝る生活をくり返していたせいだろう。
「心配になって、夜中に起きあがって、ダイエットの本を読みまくったんです。そしたら、翌朝、目の前が少しかすんで・・・。目を使いすぎたかな、とちょっと心配になりました」
五日目からは、平常通りの生活にもどった。サングラスは手放せないが、大学の授業にも出席した。
「でも、みんなひどいんですよ。目の手術をした、と言ったら、二重の整形手術?って聞くんだから」

その後、一時的に、視界にかすみがかかった状態が現れたが、これは、角膜の傷口がまだ安定していないため。一週間ほどで、くもりもとれ、手術後二週間を経過したら、何の障害もなく、先の方まではっきり見えるようになった。
「朝起きて、目をあけたとき、世界がボヤーッとしてないのが、何より嬉しい。遠くの葉っぱの動きや、人の表情まではっきり見えて、世界が百八十度変わったみたい。コンタクトやメガネをすれば同じだ、と言う人がいますが、やはり、肉眼で見えるのとは、全然、世界が違いますね」
「この良さは、やった人でないと絶対分からない!」という彼女の言葉が印象的だった。

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