夫婦で趣味も仕事も快適に:体験談(患者さんの声 近視手術 レーシック)

1983年より近視手術専門医院・切らないレーシック
(旧 参宮橋アイクリニック)

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体験談

夫婦で趣味も仕事も快適に

Filed under: トピックス,強度近視 — 参宮橋アイクリニック

右眼 裸眼:0.1→1.5

左眼 裸眼:0.05→1.2

宮城 ネストルさん(夫)

池田 泉さん(妻)

池田泉さんのデータ

オペ日 右・左2012年6月9日

私(宮城ネストル)はアルゼンチンのブエノアイレス出身で、日本に来て24年経っています。中学生の頃から目が少しずつ悪くなって、メガネを使い始めました。

しかし、5年前に日本で、奥ノ山医院ではないのですが、レーシック手術を受けて、メガネが要らなくなりました。その時はとても嬉しかったです。メガネが壊れたり、コンタクトを落としたりして、不憫な思いをすることもなくなりました。安全、安心に暮らせています。

視力がよくなったことで、普段の生活にも、車の運転にも役立っていて大変助かっています。手術を受けてよかったと思っています。

昨年、久しぶりにアルゼンチンに帰った時に、家族と話したところ、甥もレーシック治療を受けていました。彼と話して分かったのは、現在、アルゼンチンでは、プレパーガという保険制度があり、25歳以上になると、レーシックを全て保険の負担で受けられるのです。近視がひとつの保険適用の対象として、認められています。ただし、強度近視で一定の度数を超えた場合、一部自己負担する必要があるようです。

日本でも近視治療が保険適用を認められるべきですね。例えばメガネがないと地震や火事で逃げ遅れることがあるからです。これからは、日本も近視治療に保険適用の道を進んでほしいと思います。

 

私(池田泉)は長年メガネ・コンタクトを使用していたのですが、その煩わしさ故にずっと近視手術を考えていました。「近視手術といえばレーシック」というのが一般的なのですが、趣味のラテンダンス・サークルの友人達から、もっと安全で有効な手術があるよ、と奥山先生のクリニックを紹介してもらいました。やはりダンスで知り合った夫も近視手術には大賛成で、後押ししてくれました。

手術はほとんど痛みがなく、術後1週間の異物感などが収まった後は、全く問題なく順調に回復し、メガネ・コンタクトが不要になり、現在、快適に過ごしています。夫も私も、趣味でも仕事でも、目の問題を気にせず、取り組むことができています。

手術後、数ヶ月して、妊娠し、まもなく出産予定なのですが、昨年、手術を受けておいて、本当に良かったと思います。というのは、妊娠中は、近視手術を避けたほうが良いとのことだからです。子育てや仕事で忙しい中、メガネ・コンタクトが手放せない状態だったら、ずっと大変だったのではと思います。今は安心して子育てに取り組める気がします。近視手術を考えていた矢先に、妊娠して、手術が延び延びになってしまった人の話しも聞いているので、私はタイミングが良く、ラッキ-だったな~と感じます。

「裸眼でも見える?」と驚かれました!

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右眼 裸眼:0.05→1.5

左眼 裸眼:0.05→1.2

芳陸 青空(女性・オペ時16歳)

オペ日 2011年8月9日

 

小学5年の春、健康診断の視力検査は、いつもより少し見えづらかったので勘で「右、左」と答えました。そして結果は、今までのA判定からCに下がり、再検査の通知が同封されていました。ショックで両親にその結果を見せることができたのは、それから1週間も経ってのことでした。

 

その後、父と一緒に奥ノ山医院に行きました。このままだと身長が伸びるのにつれて眼軸も伸び、もっと視力が低下してしまうので小学6年生になったら眼軸の伸びを遅らせる手術を受けることになりました。

 

その1,2週間後から眼鏡での生活が始まると、学校にかけていくのを忘れたり、マスクで曇ったり、不便な毎日が続きました。小学6年生の夏に手術することが決まりホッとする反面「痛いのかな?手術中に何か起きたらどうしよう」と不安が募りました。しかし、何のトラブルもなく、無事手術は成功しました。術後の1週間は痛かったのですが、だんだん痛みも引き、背が伸びても視力はあまり変わりませんでした。

 

そして、高校1年生の夏に念願のフラップレス・レーシック手術を受けました。先生からは何度も説明を受け、メンタルケアまでしていただきました。それでも手術前日は不安になりました。術後もしも合併症を引き起こしたり、見えるようにならなかったらと考えると、とても怖くなりましたが、先生を信じて手術に臨みました。手術後は眼を開けると涙が勝手に出てきて、目薬を差すのも大変でした。私が痛がるので、先生はクリームを入れてくださり痛みを和らげてくださいました。徐々に見えるようになり、テレビを眼鏡なしで見ている時は夢のようでした。

 

2学期が始まると友達から「あれ?メガネは?」と口々に聞かれ、「裸眼で見えるんだ」と言うと「えー!!」と驚かれ、廊下で見かけた友達に手を振ると「青ちゃん、見えるの!?」と言われました。今まで友達が私の眼鏡をかけると「度が強いね」と言われ続けていたのに、皆より見えるようになりました!

 

あの時の喜びで、術後の痛みは吹き飛びました!先生は私の年が小さいので大変気を遣われ、少しでも痛みを和らげようと処置してくださり感謝しています。ここまで見えるようになったのは奥山先生のお陰です。術後もずっと経過を見てくださり、とても安心できます。本当にありがとうございました。

 

 

術後20年たっても快適に過ごしています

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右眼 裸眼:1.2

左眼 裸眼:1.2

今村 裕二(男性)

オペ日 右・左1993年8月

早いもので手術をしてから20年近くなりました。

現在でも右1.01.2の視力を保っております。

車の運転を職業としている私は夜や雨の状況下では心身共に非常に負担がかかりました。

 

そんな時、手術で視力が回復することを知りました。

コンタクトレンズやメガネから解放される、とても素晴らしいと思いました。

しかしその時は迷いました、妻とも話し合いをしてついに決心しました。

それは奥山先生自身、御家族の皆様が先に手術をして、安全性を証明してくれたということです。

私はレーザーで施術をしていただきました。

術前検査も術後のケアも入念でした。

今でもとても快適です。

何でも相談して下さい。

納得するまで先生は説明してくれますから。

スーパーPRKで人生が変わりました!!

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右眼 裸眼:0.01→0.8

左眼 裸眼:0.01→0.8

豊田 千加 さん(女性)

(Chika:ジャズヴォ-カリスト)

オペ日 右・左2005年6月17日

再右2009年3月20日・再左2012年4月13日

 

私は小学校低学年の頃から強度の近視と乱視で、眼鏡をかけていました。

歌手になってからはコンタクトレンズを使い始めましたが、乱視がひどかったため酸素透過性などの製品は使えず、一日の使用時間は6時間と限られていました。

ドライアイもひどく、常に異物感や充血を訴えていたため、日本ではコンタクトの処方をしてもらえなくなり、米国から取り寄せるしかなくなりました。

ドライアイにコンタクトがよくないとわかっていても歌手という職業上、ぶ厚い眼鏡でステージに立つわけにはいかず、昼夜に公演があるときは、昼のショーの後コンタクトを外し化粧を全部落とし、夜のショーの前にまた装着しステージ用アイメークをし直すという煩わしさでした。

そんな状態なのでステージ以外の時間は眼鏡が手放せませんでした。

子供が生まれてからは授乳もお風呂も添い寝もすべて眼鏡。

眼鏡では入れてくれないプールもあり、子供達との時間にも不自由さがつきまといました。

そんなある日、当時、幼稚園生だった次男の友達のお母さん(Yさん)から「Chikaさん、いつも眼鏡だけど、不自由じゃない?レーザー手術したら?人生変わるってよ!」と言われました。

彼女自身は眼が良かったのですが、ご両親やご姉妹とそのご主人など、ご親族計6名が手術を受け、「人生が変わった!」と言っておられるとのこと。

以前、私が雑誌で見た近視手術はレーザーをあてる前に目の表面をカンナでスライスする術式で、怖くてとても無理だと思っていました。

でもYさんは「わたしの家族が受けたのはスーパーPRK(フラップレスレーシック)だからスライスせずレーザーをあてるだけ」

「えっ!それなら私にも出来るかも!」

ステージの不便だけでなく、当時私は離婚問題のさなかにいて、3人の息子を一人で守っていくには絶対にこの眼をなんとかしたいと切実に感じていました。

そこでYさんの言葉を信じ、2005年参宮橋アイクリニック(現・奥ノ山医院)を訪れました。

奥山先生は穏やかな表情の中にパイオニアの力強さを秘めた方で、手術に関するお話を聞くうち、私の中から恐怖は一切なくなりました。

先生はまた、「スーパーPRKは近視乱視矯正手術として最高の方法であると確信していますが、この手術が始まってからの歴史は20年なので、それ以上年月が経ったあとの臨床例がありません。」と丁寧に説明してくださいました。

私は、「息子達にとって母親と過ごすのが大切な小学校卒業までの期間を不自由なく過ごせたら、それ以降たとえまた眼鏡に戻るようなことがあっても全く構いません」とお返事しました。

手術日程を決めたあと父に手術の話をしたところ、「奥山先生、知ってるよ!俺も若い頃、近視手術を考えて奥山先生のクリニックを訪ねたことがある」と言うのでビックリ!(わたしのド近眼は父譲りだった)

術後検査の際そのことを先生に話すと、「巨泉さんのお嬢さんだったのですね。お父さんが来院された当時のRK手術は現在ほど進歩しておらず、強度近視を裸眼で生活できる程まで矯正できなかった。なので手術を諦められたのですが、お父さんの叶わなかった夢がお嬢さんの眼で叶いましたね」と言って下さいました。

先生の温かいお言葉に、運命的なものを感じたのを覚えています。

かくして私の視力は裸眼で生活できるほどに回復。

『人生が変わる』というYさんの言葉は真実でした。

ステージでも共演ミュージシャンや、観客席のファンの方々の顔が良く見え、当時8歳、5歳、3歳だった3人の息子たちとの生活も不自由が無くなりました。

私の乱視は奥山先生がPRKを始められて以来の強さだったそうですが、一度の手術で完璧に矯正でき、視力も再手術でさらに改善し、今では両目とも1.2です。

手術を勧めてくれたYさん、勇気をくれた息子たち、そして私の人生を変えてくれたスーパーPRKに心から感謝しています。

朝から時計の針がハッキリ見えて感動!

Filed under: トピックス,最強度近視 — 参宮橋アイクリニック

右眼 裸眼:0.05→1.5

左眼 裸眼:0.1→1.5

船瀬 悠喜さん(女性・オペ時22歳)

オペ日 右・左2011年6月17日

 

私が奥ノ山医院で近視手術を受けたのは、去年の夏休み、留学先のアメリカから日本へ一時帰国していた際でした。父の友人であり、父の近視手術を受け持っていただいた奥山先生の話は、以前から耳にしていたのですが、ちょうど一年くらい前に、父から近視手術を受けることを勧められました。

私の視力が落ち始めたのは、中学生の時でした。授業中、黒板の文字がはっきり見えなくなり、視力検査の結果から、授業中は眼鏡をして授業を受けていました。中学時代は、バスケットボール部に所属していたのですが、試合中相手チームの背番号が見えづらくなり、コンタクトレンズをするようになったのは、中学3年生の時でした。ちょうど高校受験も重なり、視力が少しずつ落ちていったのを覚えています。

それから約8年間は、コンタクトレンズを使用していたのですが、留学先のカリフォルニアは日本に比べて乾燥している為に、目薬は必需品でした。何より裸眼の人と比べると、コストの面でも負担が大きいことに不便さを感じていました。

手術を受けることに関して、知識不足だったために、不安もありましたが、初診検査の際に、奥山先生から丁寧に説明をしていただき、手術を受ける気持ちが固まりました。実際、10年以上コンタクトレンズを使用した人は、ドライアイの恐れや、目への負担が大きいこと、将来を見通して、裸眼で今後過ごせることの素晴らしさに惹かれました。

手術後、少しずつ視力が回復していき、朝目が覚めた時に、時計の針がはっきり見えることに感動しました。目の乾きや疲れも軽減し、今まで以上に毎日が充実しています。近視手術を受けることを迷っている方がいましたら、是非とも勧めたいと思います。少しでも多くの方にこの喜びを感じていただけたらと思います。

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