10年来の夢
O・Kさん 29歳 ダイビングインストラクター
2002年7月、大阪にて手術を受けました。
近視が治る事を知ったのは、10年程前でしょうか。奥山先生が書かれた本を母が買ってきたのが最初です。当時は手術自体まだマイナーでしたし、「切るのは怖い」という感想で終わっていました。反面、治るなら何とかしたい気持ちもありました。
私は幼い頃、斜視の手術を受けています。初めてコンタクトを購入したとき、乱視が強いので、ハードコンタクトレンズは試しましたが、入れると同時に充血してしまったのでソフトコンタクトレンズにしました。それでも、ソフトは黒目より大きめにできていて、白目部分の手術跡にレンズが触れるので、できればコンタクトはしないほうがいい。と言われていました。そして、「他の人より目が弱いのだから、何かあったらすぐ外すように。」と。しかし、コンタクトが日常で当たり前になり、しかも年頃になると眼鏡はちょっと…。朝起きてから帰宅するまで毎日15時間程、丸1日以上装着することもあり、当然目は充血したり乾いたりレンズがずれたり、時には痛みを感じることも増えてきました。
そしてあるとき、いつものようにコンタクトレンズを作りに行くと、「角膜炎になりかけているからレンズを出すわけにはいかない。」と言われ、半月ほど目薬での治療をしました。
ダイビングをしますが、これもコンタクトレンズだと厄介です。マスクの度付きレンズも売られていますが、マスクを外すと何も見えなくなってしまい、船上では危ないので結局コンタクトをして潜ることになります。でも、もし水中でレンズがずれたり、マスクが外れたりしたら…?幸い、そういったことはありませんでしたが非常に危険です。せっかくの旅行も常に目のことを心配しながらなので、完全に楽しむことはできません。
去年、知人を訪ねてハワイのマウイ島に行きました。アメリカでは、LASIK法がメジャーで、家のポストにも広告が入ってくるほどなので、気軽に受ける人が多いようです。値段も日本の1/2〜1/3ほどです。痛みも無く、数時間後には見えるようになるというので、マウイ島のダイバー達は手術翌日から仕事で潜っているとのことです。ただ、受けたうちの一人はドライアイがひどく、朝、渇きで目を開けられないのでスプレーの水を顔にサッとかけて目を覚ますと言っていました。また、早い人は30代から老眼が始まるというので、それだったらせっかく受けても最悪の場合、数年ではあまり意味がないと思いました。しかも、やはり「切る」ということことに抵抗がありました。
日本でも手術法は知りませんが治した友人がいて、彼女は痛みが激しく、3日間大暴れしたと言っていました。それでも「受けてよかった」と言います。
そして、次にネットで調べ始めるようになりました。ほとんどがLASIK法で、値段もまちまちです。この方法しかないならこの中から選ぼうか…と思っていたら、ネット上で、奥山先生に再会したのです。しかも、切らなくていいとなると行ってみる価値はあると思い、いてもたってもいられず、すぐ検査の申し込みをしました。
不安材料は2つ。斜視の手術を受けていること。角膜炎になりかけたことです。角膜に傷があると手術が受けられないと聞いたことがあったので、その場合、諦めるしかありません。結果、手術を受けることはできる。ということでした。
10年来の夢が叶った、と言っては大げさかもしれませんが、とにかく、「早く治したい!」という気持ちが高まりました。検査に行き、多少の不安はありましたが、先生は私の質問攻めにも丁寧に答えて下さったし、いいことばかりを強調するようなこともなかったし、その先生もご自身も手術を受けられたとのことだったので、「信じてみよう」と思えました。ここでやらないとまた何年もやらずにおわり、また面倒な日々が続きます。「2・3日つらいのを我慢すれば一生楽になれる」と思えば痛いのも耐えられるような気がしたので、勢いが大事と思い、「1番早い手術日はいつですか?」と質問して、逆に「もっと考えたほうがいいですよ。」と言われてしまいました。でも、早まる気持ちを抑えきれず、翌日には2週間後に大阪まで行く予約をしていました。片目ずつでもできるそうですが、大阪まで2度も行くのは大変だし、痛かったら片方は「やりたくない」と言い出しそうだったので、両目いっぺんに受けることにしました。
前の人の様子を見ていたら、髪の毛が燃えたときのような焦げ臭い匂いがしてきました。そこで初めて自分がとんでもないことをしようとしている気がしましたが、逃げる間もなく、すぐに自分の番になってしまいました。診察台に上がり、器具で両目を見開いて、レーザーから目を反らさないように言われたので、必死で緑色の中の赤い光を見つめました。実際は数十秒なのでしょうが、思っていたよりも時間が長く感じましたが、無事、終了しました。緊張で喉はカラカラです。手術中の痛みはないとのことでしたが、私は少しチリチリした感じはありました。
40分後位から痛み出すため寝てしまうのがいいというアドバイスを聞いていたので、母にしがみ付きながら近くのホテルまで行き、軽く食事をし、薬を飲んですぐベッドに入りましたが、眠りにつけないまま軽い火傷のときのような痛みが始まりました。しかし、痛み止めを注してみると全く痛みは消え、すぐに眠っていました。手術3日後にもなると痛みもなくなり、ゴロゴロとした異物感だけになっていましたし、目を覚ますたびに視界が開けていくので、感動の毎日でした。とはいっても、どこまで視力が伸びるか分からなかったので、今日、ここでストップしたらどうしよう・・・と正直、不安もありました。遠くから見えるようになるので、しばらくは手元が見えづらかったのですが、それも解消され、今となっては、その時は何を不安に思っていたのかというくらい、すっかり見えるようになりました。術後すぐ見えるようになるよりも、しだいに見えてくるほうがありがたみがあるので、私はスーパーPRK手術で正解だったと思います。もちろん、ドライアイにもなっていません。そして、私があまりにも「見える、見える」と言うので、私のことを実験台呼ばわりしていた周りの人達もみんな受けたいと言い出しています。(でも、まだ怖いと一歩踏み出せないようですが)
本当に、思い切って受けて良かったです。むしろ、なぜ、もっと前に受けなかったのか?というほどです。長年の煩わしさから開放された今、もっといろんなことに挑戦していきたいと思っています。
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