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近視矯正手術
Q&A



長田 香織 さん (ダイビング インストラクター・29歳) 


 <レーシック・フラップレス 術後8ヵ月>
データ
裸眼
矯正視力
近視度
乱視度
術前右眼
0.05
1.2
-4.75D
-2.5D
180度
術後右眼
1.0
1.2
-0.25D
-2.0D
177度
術前左眼
0.02
1.2
-7.0D
-1.25D
10度
術後左眼
1.0
1.2
-0.25D
-0.5D
45度

7月、大阪にて手術を受けました。

 近視が治るのを知ったのは、10年程前でしょうか。奥山先生が書かれた本を母が買ってきたのが最初です。当時はRK手術のことが書かれていましたが、手術自体まだマイナーでしたし、切るのは怖いという感想で終わっていました。反面、治るなら何とかしたい気持ちもありました。

私は幼い頃、斜視の手術を2度受けています。初めてコンタクトを購入したとき、乱視が強いので、まず矯正力の強いハードコンタクトレンズは試しましたが、入れると同時に充血してしまったのでソフトコンタクトレンズにしました。それでも、ソフトは黒目より大きめにできていて、白目部分の手術跡にレンズが触れるので、できればコンタクトはしないほうがいい。と言われていました。そして、他の人より目が弱いのだから、何かあったらすぐ外すように。」と。しかし、コンタクトが日常のことで当たり前になり、しかも年頃になるとオシャレもしたいもので、眼鏡はちょっと…と、朝起きてから帰宅するまで毎日15時間程、もしくは丸1日以上装着することもあり、当然目は充血したり乾いたりレンズがずれたり、時には痛みを感じることも増えてきました。

 そしてあるとき、いつものようにコンタクトレンズを作りに行くと、「角膜炎になりかけているからレンズを出すわけにはいかない。」と言われ、半月ほど目薬での治療をすることになりました。それでも眼鏡が嫌だったので長時間装着を止めず1年後、また角膜炎と診断されたときに「目が見えなくなってもいいの?」と叱られ、やっと自覚を持ちました。確かにその頃は目が非常に疲れやすく、いつも充血していて、コンタクトを外している間でも目が熱を持った感覚がありました。それからは異常に気にするようになり、仕事は眼鏡、出かける時は眼鏡で、目的地に近づいたらコンタクトを入れ、いつでも外せるようにしていました。でも荷物になるし、石鹸で手を洗えるところを探さなくてはいけないので、これがまた面倒で仕方ありませんでした。夜も遅くなる時には途中で外したりもしていました。冷房も敵で、風が当たる場所は避けるようにし、花粉が飛び交う時期は、コンタクトなんてしていられません。2週間使い捨てのタイプを使っていましたが、それでもダメでした。

過去の話になりますが…

 私は旅行が好きなのですが、水道のないキャンプ生活をしたとき、3日日ごろレンズを入れると同時に突然激しい痛みを感じました。ろくに手を洗えないなかでレンズを洗っていたのが原因です。それでも日差しの強い土地で、サングラスが必要だったため一日我慢しましたが、かなりの痛みにさすがに翌日からは諦めて、長旅でガタガタになり、すっかり度も合わなくなった眼鏡を掛けることになりました。結果、目は次第に日差しにやられて真っ赤になり、熱をもってしまいました。その後もしばらくは痛みがとれなかったのに、病院もないので不安を抱えたまま、旅を続けました。

 他にもダイビングをしますが、これもコンタクトレンズだと厄介です。マスクの度付きレンズも売られていますが、マスクを外すと何も見えなくなってしまい、船上では危ないので結局コンタクトをして潜ることになります。でも、もし水中でレンズがずれたり乾いたり、マスクが外れたりしたら…?幸い、そういったことはありませんでしたが非常に危険です。また、ダイビングは朝が早いので、午後は一度ホテルに戻り、眼鏡に掛直したりと、面倒でなりませんでした。せっかくの旅行も常に目のことを心配しながらなので、完全に楽しむことはできません。荷物を少しでも減らしたいのに、洗浄液などは液体だから重いし邪魔だし、時には滴れて服を濡らしてしまうこともありました。

 以前、ボディーボードをしようと一式揃えて海に入り、思ったよりも高くパワーのある波にもみくちゃにされ、目が開けられず、気づくと沖のほうに流されていて怖い思いをしたこともあります。それっきり、私のボードは部屋の片隅で眠っています。

 デイリータイプのコンタクトにしたかったのですが、乱視用レンズは割高で手が出ませんでした。最近では眼鏡も安いものが出回っていますが、乱視の度が強く、安い眼鏡のレンズでは見え方に歪みがあるので、結局は何万もする高い眼鏡を買わなくてはなりませんでした。このまま常に目のことを考え続ける生活が一生続くのかと思うと嫌気がさし、また、金銭面でも手術代は一度に出ていく金額が多いけれど、長い目でみるとやってしまったほうがいいように思え、やはり思い切って手術を受けてみようかという気になってきました。でも、その前に体験者の話が聞きたかったのです。

 去年、知人を訪ねてハワイのマウイ島に行きました。アメリカでは、MIC法がメジャーで、家のポストにも広告が入ってくるほどなので、気軽に受ける人が多いようです。値段も日本の1213ほどです。痛みも無く、数時間後には見えるようになるというので、マウイ島のダイバーは手術翌日から仕事でみんな潜っているとのことです。ただ、受けたうちの一人はドライアイがひどく、朝、渇きで目を開けられないのでスプレーの水を顔にサッとかけて目を覚ますと言っていました。また、早い人は30代から老眼が始まるというので、それだったらせっかく受けても最悪の湯合、数年ではあまり意味がないと思いました。しかも、やはり切ることに抵抗がありました。

 実は以前、他の国に行ったとき、値段も安いと聞き、一瞬、帰りに受けて帰ろうかと考えたくらいです。でも、なんせ眼のことなので英語でのやりとりは不安だし、何かあったときに「先生、診てください。」とすぐ行くことは不可能だし、経験者はそれを教えてくれた人のみだったのでやめました。日本でも手術法は知りませんが治した方がいて、彼女は痛みが激しく、3日間大暴れしたと言っていました。それでも受けてよかったと言います。

 そして、次にネットで調べ始めるようになりました。ほとんどがLASIK法で、値段もまちまちです。この方法しかないならこの中から選ぼうか…と思っていたら、ネット上で、奥山先生に再会したのです。しかも、切らなくていいとなると行ってみる価値はあると思い、いてもたってもいられず、すぐ検査の申し込みをしました。

 不安材料は2つ。斜視の手術を受けていること。角膜炎になりかけたことです。角膜に傷があると手術が受けられないと聞いたことがあったので、その場合、諦めるしかありません。結果、手術を受けることはできる。ということでした。10年来の夢が叶った、と言っては大げさかもしれませんが、とにかく、早く治したい!という気持ちが高まりました。ただ、何度聞いても痛いし、徐々に視力があがって、どのくらいの度を得られるのかは、大体でしか分からず、やってみないと分からない。とのことです。先生は私の質問攻めにも丁寧に答えて下さったし、いいことばかりを強調するようなこともなかったし、その先生もご自身も手術を受られたとのことだったので、少しは躊躇しましたが、信じてみよう。と思えました。ここでやらないとまた何年もやらずにおわり、また面倒な日々が続く。23日つらいのを我慢すれば一生楽になれるんだ。と思えば痛いのも耐えられるような気がしたので、勢いが大事と思い、1番早い手術日はいつですか?」と質問して、逆に「もっと考えたほうがいいですよ。」と言われてしまいました。<BR>でも、早まる気持ちを抑えきれず、翌日には一番近い2週間後に大阪まで行く予約をしていました。片目ずつでもできるそうですが、大阪まで2度も行くのは大変だし、痛かったら片方はやりたくないと言い出しそうだったので、両目いっぺんに受けることにしました。

 当日は、じきに眼鏡・コンタクトとさよならできると、旅行気分でウキウキしながら大阪に向かいました。行くと間もなく検査が始まり、名前を呼ばれるたびに、いよいよかとドキッとしつつも検査を終え、術後の目薬の説明を受け、最後に奥山先生のお話があり、いよいよです。

 前の人の様子を見ていたら、髪の毛が燃えたときのような焦げ臭い匂いがしてきました。そこで初めて自分がとんでもないことをしようとしている気がしましたが、逃げる間もなく、すぐに自分の番になってしまいました。診察台に上がり、器具で両目を見開いて、レーザーから目を反らさないように言われたので、必死で緑色の中の赤い光を見つめました。実際は数十秒なのでしょうが、思っていたよりも時間が長く感じましたが、無事、終了しました。緊張で喉はカラカラです。手術中の痛みはないとのことでしたが、私は少しチリチリした感じはありました。

 40分後くらいから痛み出すから寝てしまうのがいいというアドバイスを項いていたので、母にしがみ付きながら近くのホテルまで行き、軽く食べ、薬を飲んですぐベッドに入りましたが、緊張と興奮でなかなか寝付けません。クーラーを効かせてもいつか来る痛みにそなえて体が硬直して力が入り、へんに汗が出て、眠りにつけないまま軽い火傷のときのような痛みが始まりました。しかし、痛みでのたうち回る自分を想像していたので、痛み止めの特効薬として戴いた目薬には手を出さないでおこう。と耐えていました。なぜならこの薬は強いから一度点したら次は30分は時間を空けなくてはならないそうで、今、ここで点して30分以内に痛みのピークが来たら耐えられないかもしれない。と考えたからです。でも、そう考えていたその時がピークだったらしく、点してみると全く痛みは消え、すぐに眠っていました。

 その後は3時間おきに目薬を点すために起こされました。目を開けることができないので、手で目の下をそっと引くと涙が流れます。光が眩しいので、電気をつけることも、カーテンを開けることもできないまま過ごしました。

 翌日には帰ろうと思っていましたが、目全体が腫れた感じで未だ、自力で目を開けられないので、もう一泊することにしました。夜になると数秒なら目を開けることもできるようになり、暗めのサングラスは手放せませんが、電気をつけても大丈夫になっていました。やっと食べ物が喉を通るくらいに落ち着き、痛みもだいぶ引きました。

 その翌日に飛行機にのって自宅へ帰りました。空港のように人の多い場所は、非常に怖く、危険でした。少し目を開けて、ぼんやりとした中周りを確認してから少し歩き、目を開けて、少し歩き・‥の繰り返しで、羽田でも何とかバスに乗りかえ、無事、家路につくことができました。

 それから数日は、できるだけ目を使わないように一日のほとんどを寝て過ごしました。手術3日後にもなると痛みもなくなり、ゴロゴロとした異物感だけになっていましたし、目を覚ますたびに視界が開けていくので、感動の毎日でした。とはいっても、どこまで視力が伸びるか分からなかったので、今日、ここでストップしたらどうしよう・・・と正直、不安もありました。遠くから見えるようになるので、しばらくは手元が見えづらかったのですが、それも解消され、今となっては、その時は何を不安に思っていたのかというくらい、すっかり見えるようになりました。<BR> <BR> 術後すぐ見えるようになるよりも、しだいに見えてくるほうがありがたみがあるので、私はPRK法で正解だったと思います。もちろん、ドライアイにもなっていません。そして、私があまりにも見える見える言うので、私のことを実験台呼ばわりしていた周りの人達もみんな受けたいと言い出しています。(でも、まだ怖いと一歩踏み出せないようですが)

 本当に、思い切って受けて良かったです。むしろ、なぜ、もっと前に受けなかったのか?というほどです。 長年の煩わしさから開放された今、もっといろんなことに挑戦していきたいと思っています。
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