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RKニュース1990 11月 No.5

 ベレストロイカを語る
  フィヨドロフ博士  
5月21日から5月29日まで、モスクワ顕微手術研究所のS・N・フィヨドロフ博士が4年ぶりに来日しました。すでに医師としてばかりでなく、ソ連の人民代議員としてもご活躍中で、その活動が注目されています。
 来日中も精力的に各地をまわられ、5月22日には、モスクワ顕微手術研究所とRK友の会が共同出展していた、大阪花の博覧会会場において、展示の電動検査台と手術台の模型を前に、RK手術およびモスクワ顕微手術研究所の宣伝キャンペーンのための記者会見を行いました。また25日には岡山で開催された日本眼科学会で、「RK手術の長期経過について」と題して、講演をされました。さらに28日には、上智大学において「モスクワ顕微手術研究所におけるベレストロイカ」をテーマにした記者会見を、そして引き続き英語による記念講演「ソ連全体のベレストロイカについて」を行いました。
 RK友の会として博士をお迎えするのは、今回で2回目になりました。少しでも多くの方においでいただけたら、と計画をするのですが、大変忙しい日程のなかで、しかも直前の変更などが相次いでしまい、皆様にお知らせすることができなくて、残念です。
グッドバイメガネ・コンタクト出版記念パーティ開催される
 5月27日、五反田の東輿ホテルにおいて船瀬俊介氏の著書「グッドバイ、メガネ、コンタクト」の出版記念会が催されました。当日は、ちょうど来日中で出席を予定されていたフョードロフ博士は、都合により欠席となってしまいましたが、RK友の会全員有志、出版関係者等、45名が出席しました。
 初対面の方がほとんどであったにもかかわらず、船瀬俊介氏を中心に、お互いRK手術という共通の話題があるせいか会場は和気あいあいとした雰囲気に包まれ、予定の2時間はまたたく間にすぎてしまいlました。
山口県 徳本 長史(三一歳)ジェットスキー代理店(アクティブ・スポーツ)経営
 私の場合、知人からこのRK手術の話を聞いてすぐに検査の予約をしました。手術前の視力は右が0.04、左が0.2でした。
 夏はジェットスキー、水上スキー、ウインドサーフィン、ダイビング、冬はスキー、スノーボードといった具合に仕事がらスポーツをする機会が多く、どうしてもコンタクトレンズやメガネでは不便なのです。
 たとえばジェットスキーの場合、時速70キロ位のスピードが出ますので、メガネをひもで縛ったりしますが、ころんだ時にはずれたりして、今までに10個以上なくしています。
 手術に対して別に不安はありませんでしたが、手術の時は少し緊張しました。
 3ケ月検診の時、右は0.7、左は1.0でした。今は検査に行っていませんので、正確な視力はわかりませんが、メガネなしで生活しています。
 4月1日から大阪鶴見緑地で開かれていた花と緑の博覧会が9月30日、大盛況のうちに幕を閉じました。
 山のエリア、国際庭園の中にあるソ連舘には、RK友の会とモスクワ顕微手術研究所の共同出展になる(マーガレット)という、花の名前がつけられた電動手術台と検査台の模型が展示されました。ここで半年間コンパニオンを務めた山田さんの感想をご紹介します。 国際花と緑の博覧会の仕事を終えて
 毎日いろんな国からのお客稼が来場された、国際花と緑の博覧会、その中でお仕事をして感じたことを述べさせて項きます。
 ソ連館の中に置かれていたRKの検査台、手術台を見てお客様はさまざまな反応を示されました。パンフレットを手にとり、手術は…と熱心に質問される方、初めてそんな手術があることを知る方、治るわけがないと通り過ぎる方、パンフレットを手にとりながら、一通り目を通してから、返してしまうメガネをかけた方など、本当にいろいろな方がいらっしやいましたが、なかでも特に残念に思ったことは、メガネをかけているのに関心を示されずに行ってしまう方がいらしたことでした。そんなとき、治したいという気持ちがないのかしら・・・その気持ちひとつで今とは違う結果が待っているのにと思ったものです。でも今回の出展によって日本でも手術がうけられるということをたくさんの方に知っていただけたことは確かです。きっとこの時のパンフレットを持ってクリニックを訪れる方もいらっしやると思います。


 会期中、特に印象に残った何人かのお客様のことを述べさせて頂きます。じっと模型を見ていた小学4年生ぐらいの女の子に「興味があるの?」と聞くと、「眼が悪いから…」と答えてくれた時、子どもは大人より素直に受け入れる心を持っているのだと感じました。また模型は何なのか、何をしているのかということを大人よりもよくわかっている子どもさんが何人もいました。
 ある日の朝一番に話しかけてきた男性が、パンフレットを見ながら、「画期的なことですよね」としみじみおっしゃった時の顔、アメリカ人の若いカップルが、二人とも眼が悪いからと熱心に質問してきたこと、ロシア人で手術を受けた男性が、通訳の人を通して、「今は何もいらない。自分の眼で見える。手術は20分ぐらいだけど、受けるのに4年ぐらい待たなくてはいけない(ソ連では)。」と、私としゃべっていたお客様にそう話してくれたことなど、話をしたいろんな人の顔が浮かび、なつかしく思い出されます。
 最後に、一人でも多くの方が、この手術によってもう一度自分の瞳で見ることができますょうにと、願っています。(山田さんご自身、1986年にRK手術を体験されていっしやいます。)

世の中が(少しだけ)明るくなった日 大阪府 調査業協会 有本憲二

   私は近眼である。それも年季の入った近眼で、中学生の時以来40才を過ぎた現在迄、瞳の前にガラスの塊をぶら下げて人生を過ごしてきた。
 健常者の方にはご理解項けないと思うが、身体の障害の中で、一番不自由なことは目が悪いことではないだろうか。強度の近眼は立派な障害であると思う。 私の視力は0・02であった。何をするにもメガネが必要で、もし、メガネがなければ1m先の林真理子と宮沢りえの区別がつかない。
 そんな私が世の中が少しだけ明るくなったのである。
 最近話題になっているRK手術を受ける決心をしたのは、今年の初めのことだった。
 角膜に放射状の切り込みを入れることによって、近視を矯正する手術のことは以前から知ってはいたものの、何となく不安で決心がつかないままであった。一度は、手術の本場のソ連迄ツアーを組んだがキャンセルした。日本でRK手術があることを知った私は、職業をフルに利用して、徹底的に事前調査を行った結果、「エーイなんとかなるさ」と考えた。
 本来私は、いざとなると楽天的な性格なのである。
 さて、日本で相当の実績を有する、参宮橋アイクリニック(東京都品川区東五反田2−19−2松田ビル2F奥山公道院長 tel03−446−3902) で、診察を受けてはみたものの予約がいっぱいで、2ケ月以上順番待ちの上、主治医の奥山先生曰く、「有本さん、あなたの近視は相撲で言えば、北天佑クラスの強度近視ですから、0・1位にしかなりませんよ。どうします?」とのことであった。
 それじゃ横綱クラスはどうなるんですか、等と聞ける雰囲気でもなく、しばらく考えてしまったが「先生は0・1と言うけれど、もしかしたらもっと見えるようになるかも知れない、いや、この先生は誠実そうだからきっと控え目に説明しているに違いない」等々と物事を自分に有利に良い方向に考える、いつもの癖が出て、すぐに「お噸いします。」と言ってしまった私だった。
 2ケ月後の3月8日、まず、左目から手術することになった。手術と云っても簡単で、所要時間は約15分、痛みはほとんどなし。ニューミュージックが流れる手術室で、奥山先生が眼球の表面をあれこれさわっている(そのように感じた)内に「ハイ終わりました。」と言われた時は、何だか拍子抜けしてしまったほどである。
 その日はすぐホテルに帰り、約2時間後、ジワッと痛みが出てきたので、もらった痛みどめの薬を飲んですぐに寝た。
 翌朝、10時に診察を受けて「順調ですよ。」の声にやや安心して大阪迄の帰路についたが、午後3時、行きつけのメガネ店で視力を測ったら、何と、メガネなしで0・8迄見えたのである。
 最初に先生から「手術してから1-2週間は1・0見えますが、あなたの場合は最終的には0・1位で安定することになりますから、一時的に視力が出ても、糠喜びをしてはダメですよ。」と念を押されていたものの実際に0・8迄見えた時には、本当にピックリしてしまった。そして、3月23日残る右目を手術したが、こちらもやはり当初は0・8迄見えた。その後、少しずつ視力が落ちて来て、現在では奥山先生の予想通り雨眼共に0・lになったものの、しばらくの間はメガネなしの生活が出来た。今は度の薄いメガネを使用しているが、以前の牛乳ビンの底みたいなメガネのことをおもうと信じられない位、楽になった。
 何しろ、メガネなしで本が読めるし、歩いても何かにぶつかることもない。ちなみに私の今の近視は幕下クラスである。(薄いメガネをかければ1・5迄見える。)
 RK手術はまだなじみが少なく、保険も認められてはいないが、その原理は簡単で、現在迄に世界で50万例、日では約3000例を数えると云う。
 もちろん、成功率100%で危険度はない。
 元々、日本の佐藤博士の理論をもとに、ソ連のフョードロフ博士がこの方法を開発したもので、奥山先生はモスクワ大学に留学中に、フョードロフ博士に手術を受けた日本人第1号である。私の場合は度数で言うと、左右共8・5ジオプトリーと云う強度の近視だった為、裸眼0・1迄しか視力が回復しなかったが、中、軽度の近視であれば、ほとんどの人が1・0前後迄回復している。
 世の中が少しだけ明るくなった日に感謝して、皆様にご報告する次第である。
 (日本調査業協会報より)
このところ、(空を飛んでみたい)(自分でヘリコプターを操縦してみたい)という人がふえているようです。そうした人たちの参考になればと、アメリカでFAAの事業用ヘリコプターの免許を7月に取得したKさん(アメリカのワーキングピザ申請中のため、お名前を伏せました)にお話をうかがいました。なおKさんは、今年8月24日と31日にRK手術を受けました。

−なぜRK手術を受けたのですか。
 ヘリコプターの場合、裸眼視力〇・二以上という事になっており、私の場合〇・二の視力があったので、資格的には問題はなかったのですが、スポーツをする時等、メガネがないほうが便利なので、RK手術を受ける決心をしました。

−どうしてアメリカに行かれたのですか。
 以前からアメリカで仕事をしたかったので、そちらの航空学校に入りました。私の取った資格は、FAAの事業用へりの免許です。1990年3月から7月まで5ケ月かかりました。時間数としては160時間、費用は480万円くらいです。オレゴンのヒルズポローという所で受けました。日本で取るとしたら、費用は三倍の1500万円くらい、期間は1−2年かかったでしょう。

−日本人がアメリカで免許を取るケースは多いのでしょうか。
 費用や時間の点で、アメリ方の方が取り易いので、かなり多くの人が来ています。私がいた間だけでも、13人はいました。自家用へりの人がほとんどです。70時間、200万円くいで取れます。教習は英語で行いますが、日本人のインストラクターがいる学校もあります。

−アメリカで免許を取って日本ですぐに乗れるのですか。
 自家用へりの場合、日本で二種の身体検査、無線の免許、書類審査に通れば、免許がもらえるはずです。ただアメリカと日本では地形が違いますので、日本の空を飛ぶのは難しいでしょう。山や海があり気圧の変化がありますし、電線も多いので、非常に細かい神経が必要だと思います。

-日本では航空身体検査でRKを認めていませんが、どう思われますか。
 アメリカのFAAでは認めており、私の場合アメリカでずうっと仕事をしていくつもりですから、私には別に問題はありません。ただRK手術を受けたという事で、一律に認めない日本の基準は、おかしいと思います。

-今後どうなさるのですか。
 来年3月にビザが取れたら、渡米してインストラクターの教習(10時間ほど)を受けて航空学校のインストラクターとして働く予定になっています。

-空を飛びたいという方に何かアドバイスをお願いします。
 アメリカでも日本人のインストラタターのいる学校が増えており、教習は受け易くなっていますが、英語ができなくて落ちこぼれて帰って行く人もいますから、英語力を身につけて行かれたほうがよいと思います。
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