声にならない声を届ける
体験談 山中登志子
元週刊金曜日副編集長 「買ってはいけない」編集
0.03だったわたしの視力はPRKの手術で1.0以上になりました。手術を受けたのは2000年。いまでは視力が悪かったことを忘れてしまいそうです。視力が回復するとみなさん積極的になるようですが、奥山公道院長いわく、わたしは「積極さに磨きがかかった」とのこと。いままで見えなかった、見てこなかった社会があれこれと見えてきて、これも手術効果かしらとよろこんでいます。
編集者をかれこれ15年近くやっています。消費者問題などに興味があり、1999年に『買ってはいけない』を企画&編集&一部執筆しました。カップラーメン、ビール、パン、合成洗剤など業界大手、CMなどで露出度が高い、誰もが目にする”おすすめできない”ものを89商品ほど紹介し、愛情を込めて67社の企業に送ったこの”ラブレター”本は200万部に迫るベストセラーになりました。その執筆者のひとりでもある船瀬俊介さん(RK体験者)から近視手術の話を聞き、奥山院長にインタビューしたことが手術を受けるきっかけとなりました。「近視は病気」という発想すらありませんでした。
こんなありがたい治療が近眼人口4000万人のこの国で普及しないのはなぜだろう。そんなことを調べていくうちに、わたしも切らずに治す近視手術レーザー治療を受けたいと思うようになりました。
1998年3月、近視手術のパイオニアといえるモスクワ・フィヨドロフ研究所を訪問しました。「近視手術体験記 さようならメガネ&コンタクト」と題した同時進行ルポの連載執筆もしたのですが、それは自分のことだから自分の眼で見て、聞いて、そして決断したいという思いから、また自分の体験記を通して、近視に悩む患者に近視を取り巻く日本の実態(産・官・学・マスコミ)を伝える必要性を感じたからです。
『買ってはいけない』も同じです。消費者のためになることをマスコミは伝えていないというのは、近視手術をとりまく環境とまったく同じです。当時、わたしが言われ続けたことは「だったら、何を買えばいいの?」でした。そして、そのひとつの答えとしてインターネットオンラインショップ「通販あれこれ」を5月にオープンしました。
たとえば牛舎での密飼いが日本酪農の主流です。CMなど広告で見かける放牧牛は”タレント”牛です。わたしが知る限り、放牧酪農をしているのは岩手の中洞牧場くらいです。そこのエコロジー牛乳には自然放牧家中洞正さんの思想がこもっています。そのほか「脱 電子レンジ宣言!」のスチームオーブングリル、薄毛・細毛・白髪・フケなどの髪を健康にする自然生まれの養毛料プリミーナ(開発まで20年、特許取得)などスタッフこだわりの商品を扱っています。スタッフが探し出した選りすぐりの商品を紹介するとともに、こだわりを持った人たちもどんどん登場します。これらのこだわり通販商品からわたしたちが暮らす世の中があれこれ見えてきます。世の中、見わたせばまだまだこまった商品だらけです。世の中、おかしなものが流行ればおかしな社会に、すてきなものが流行ればすてきな社会になっていくと感じているからです。インターネットご利用の方は「通販あれこれ これは事件です!」をのぞいてみてください。http://www.rakuten.co.jp/arekore/
いま、大事にしていきたいと思っているひとつに「日本国憲法」があります。日本のもっとも基本となる法です。小泉首相が昨年末、イラクに自衛隊を派兵する根拠を日本国憲法前文に求めました。記者会見で前文を読みあげるのを聞いていて、そういえば「憲法、憲法」というけれどわたしもじっくりふれたことがないことに気づきました。そこからスタートしなくてはと思い、『読む日本国憲法』(現代人文社http://www.genjin.jp/ 1260円)を企画・編集し出版しました。
「高校生が撮った日本の今」23枚の写真とともに憲法全文を大きな活字で掲載し、憲法公布の1947年8月、文部省が発行した中学1年生の社会科教科書「あたらしい憲法のはなし」をそのまま本書で復刊しました。「戦争の放棄」では、「(略)日本は正しいことを、ほかの國よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。(略)」とあります。いまほど「日本国憲法」を読む力が必要とされている時代はありません。憲法論議の前にまず、読むことからはじめたいと思います。
2度の奇跡体験 体験談 釣谷 千登勢
「背中が痛くなったら気をつけなさい。」
奥山先生のこの言葉で私の命は救われました。
私は96年に左目をRK、右目はPRK手術を行いました。私の場合普通の近視ではなく、「マルファン症候群」によるものでかなり強度の近視(弱視)でした。マルファン症候群」とは、遺伝子の変異によって、骨格、肺、目(水晶体の偏位または亜脱臼)、心臓、血管などに症状が出る疾患です。発症頻度は一万人に一人の割合とされ、珍しい病気です。
術後8年経過した今は両眼とも視力も安定し、支障なく日常生活を送っています。結婚3年目を向かえそろそろ子供のことを考えていましたが、「マルファン」のことが心配で昨年の定期検査の際、奥山先生に相談をしました。先生は医学書を片手に「マルファン」について説明してくださり、遺伝に関しては専門医を訪ねたほうがよいとアドバイスをしてくださいました。そして最後に「この病気は中高年で動脈硬化を発症するケースが多い。背中が痛くなったら気をつけなさい」と。
そのわずか数日後、先生の言葉が予想を的中させるかのように私の背中に激痛が走ったのです。一人自宅で夕食をとっていると突然、息が苦しくなり胸に激痛が起こりました。あまりの痛さに横になろうとしたその直後、背中に激痛が起こりました。その時、数日前の先生の言葉がよみがえり、まさかという思いと同時に、這うようにして電話のそばへ行き救急車を呼びました。「急性大動脈解離」心臓から伸びている大動脈血管が裂ける病気でした。私の場合心臓からすぐの大動脈が裂けた為、病院に運ばれた時はかなり危険な状態で、すぐ緊急手術が施されました。手遅れになると死に至るケースもあるとの事。成功率2割と告げられた手術も無事成功し、一命を取りとめることができました。担当医も「よく冷静に自分で救急車を呼べましたね」と驚いていました。今ではすっかり回復し、手術前と変わらない生活を送っています。もし、奥山先生の言葉を思い出してなかったら、私は生きていなかったかもしれません。
私は奥山先生によって視力を回復しただけでなく、命まで救われるという2度の奇跡を体験しました。出産に関しては大きなリスクを抱えてしまいましたが、今は自分の健康を大切にしていきたいと思います。
白内障と緑内障
手術後の患者さんによく質問されることがあります。「近視矯正手術をした後に白内障の手術ができますか?」 又、手術前後の検診で先生から頻繁に聞く病気「緑内障」。
その2つについて説明します。
白内障
眼球の前の方に水晶体という透明なレンズがあります。そのレンズは外界の景色を、眼球の最も後ろにある網膜に像を結ぶ重要な役割を持っています。材質は生卵の白身と同じような成分と考えてください。その水晶体のたんぱく質がなんらかの原因で白く濁ってきた状態が白内障です。原因で最も多いのは加齢により細胞の老化がおきる老人性のものが断トツです。その他まれに膠原病、肝臓疾患などで副腎皮質ステロイド薬を長期にわたって使用していると副作用で白内障が起きることがあります。
いったん濁ってしまった水晶体をもとの透明な状態に戻すことはできません。濁る前に予防する、進行を食い止める、あるいは遅くするという意味で点眼薬や内服薬が用いられることはあります。しかし日常生活やお仕事で不便を感じられるようになったら、手術には合併症もあることをよく説明し、内科的に問題が無ければ手術をお勧めします。
RK、レーシック・フラップレス後でも白内障手術を受けることは可能です。しかし、白内障手術には近視手術を受ける前のデータ−が必要な場合もありますので、検診の際にご相談ください。
緑内障
眼球の硬さを眼圧といいます。検査の際に「プシュッ!」と空気の弾のようなものが当たる検査で測定します。眼圧は眼球の中の房水という液体によってコントロールされています。この房水は毛様体というところで作られていて、眼球内で一定の量を保つために常時シュレム管という管から排出されていますが、このシュレム管が狭くなったり、毛様体での房水の産出量が多くなると眼圧が上がってしまいます。眼圧が上がると眼球内の視神経や網膜に圧迫が加わり、視野が狭くなったり、視力が下がったりします。これが緑内障という病気です。また、眼圧が正常でも、従来と同じ病変を呈する正常眼圧緑内障もあります。
症状としては、急性の場合極度の視力低下に加え、眼痛、頭痛、嘔吐などが急激に生じますが、通常ですと視野が狭くなることと、視力の低下ですが、あまりにもゆっくりと進行するので気づかない場合がほとんどです。
現在、当院では将来白内障等の症状が出たときのために、友の会手帳の最終ページに追加データーを書き込んでいます。診察の際には手帳を忘れずにお持ちください。
手術から半年たって 体験談 千種
私は昨年の8月に右眼、一週間あけて左眼の手術をうけました。今では、左右ともに十分すぎるほどの視力が得られています。
さて、現在とても快適な生活を送っていますが、手術後7日間ほどは痛みや見えにくさが気になって、家事や育児がままならず、少々不便でした。どのような痛みかと申しますと、ハードコンタクトレンズ装着時にゴミが入ってしまったような感じとでもいいましょうか、とにかく異物感とそれにともなう涙、涙、涙…。加えて、鼻水も止まらず、まるで花粉症の時のように、ティッシュが手放せない状態でした。痛み止めの目薬をさし、短時間に食事の支度、洗濯といったように、目薬と家事はつねにセットでした。また、術後はぼんやりと霧がかかったような見え方なので、極力包丁は使わないように、油はねも怖いのでフライなどは避けるようにしました。まぶたにタオルのような柔らかいものが触れただけでも痛みがあるので、家の中でもサングラスをかけ、しばらく過ごしていました。以上、不便さばかりを強調してしまいましたが、1週間を過ぎたころから、遠くの木々や木の葉の1枚1枚、看板の文字やテレビが少しずつみえ始めます。そして8週間ほど経過すると、新聞や雑誌の小さな文字も問題なく読めるようになりました。この頃には、当初の不便さなどすっかり忘れてしまっていました。
以前は生活必需品だったたくさんの眼鏡たち、そのすべてはサングラスに生まれ変わり、季節にあわせファッションの一部として活躍しています。また、アイメークも映えますよね。「お母さん、眼鏡もいいけど今のほうがもっといいよ。」という娘たちの一言。そして何より、眼鏡のわずらわしさや片頭痛、肩こりなども解消され、思い切って手術をうけて本当によかったと感じています。
参宮橋アイクリニックの先生をはじめ、スタッフの皆様、ありがとうございました。
編集後記
友の会より
手術後3年以上経過した方は会報が有料となります。郵便振替にて300円をお振込み下さい。 00170−1−168199 日本RK・PRK友の会 まで。
LASIKの危険性や、後遺症等の学会発表が海外で数多く出てきています。詳細は当院ホームページ にて。
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