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RK・PRKニュース No18 2004年 8月 

オーロラと私 RKからPRKへ
私が目の手術を考えたのは、趣味である山登りの様々な場面で、眼鏡を使用している故に危険な目にあったためです。参宮橋アイクリニックのことは、雑誌「週間金曜日」で知りましたが、他で採用されてない手術法(PRK)には不安もあり、広告でよく見かけたLASIKについてもいろいろ調べてみました。

 結局、自分として最も納得できたPRKを受けることにしました。手術当日は駅のホームからすぐに痛み始め、それはもう辛い一夜を過ごしました。翌日も目を開けられず、「このまま見えなくなる?」と早くも後悔していました。2日目の朝、瞼は腫れて開けにくく視界の大部分がかすんでいましたが、それでも天井の隅が妙にクッキリ見えていたのが印象的でした。

 その後の経過は非常に順調で、両目とも0.04だった視力も右1.2/左1.5に快復しています。右目に術前はなかった乱視が出ているのが唯一の不満ですが、当初は視力の快復が0.7程度と言われていたことからすれば、大変満足しています。

手術の1年後、南極観測隊に参加することになりました。手術を決めた際には予想もしていなかった話でしたので、術後の経過を1年間チェックしていただいて、目の状態が落ち着いてから行くことができ、タイミング的にも大変良かったと思っています。南極ではよく知られた昭和基地ではなく、千キロ内陸の「ドームふじ基地」でわずか8人での越冬でした。平均気温-57度、最低気温-79.7度、標高3800m、空気は平地の3分の2という、「世界で最も厳しい環境の基地」と言われています。基地内の気温は+20度と快適ですが、外は極寒の世界。さらには太陽の出ない期間が4ヶ月もあり、少人数と言うこともあって精神的にも厳しい冬でしたが、そんな我々への「ご褒美」のように美しいオーロラが降り注いでいました(蛇足ながら、夏の期間は太陽が出っぱなしなのでオーロラは見られません)。気温があまりに低いため、眼鏡は吐いた息が凍り付いて、すぐに曇ってしまいます。手術のおかげで「裸眼」でのオーロラを十二分に堪能することができました。さらに、人類初の南極での皆既日食を目撃する幸運にも恵まれました。特に南極内陸で皆既日食が見られたのは我々の基地だけだったようで、大変貴重な思い出となりました。

最後になりますが、手術を考えている方々に。私は良好な視力を得ることができ、本当にラッキーというか、ありがたく思っています。更に幸いなことに、極寒・低酸素の環境で1年を過ごしましたが、特に視力に影響は出ていないようです。

しかし、当初言われていた視力0.7程度の快復だったらどのくらいの満足・不満を感じただろうか?ははっきりとわかりません。今でも「再び視力が低下するのでは?」という不安があります。手術の結果、回復できる視力やそれへの満足度は人それぞれだと思うので、誰にでも手放しでお勧めするわけにはいきません。

いろんな資料を納得するまで調べた上で決断する事をお勧めします。

RKからPRKへ

現在では近視を治す方法は様々にありますが、20年前に初めて我国に近視治療を導入した当時は、メスを使用したRK(放射状角膜切開術)でした。

1993年にエキシマレーザーが開発されてからは、PRKLASIKLASEKIntraLASIK−フィヨドロフ式PRKとより角膜の負担を少なく、かつ有効な方法へと努力して参りました。

フィヨドロフ式PRKは高出力のエキシマレーザーで得られた太いビームをガウス曲線状(すり鉢の底状)にエネルギー分布させて角膜表面を蒸発させて近視を矯正します。すり鉢の底状に矯正面を得ることで遠見はもちろん、近視も水晶体に負担をかけずに見やすい矯正の努力を行っています。

次に様々な近視矯正角膜手術について解説しました。他に強度近視では水晶体を摘出する手術もありますが、白内障がなければ一般的ではありません。有水晶体レンズ挿入や、白内障を伴わない眼内レンズ挿入も同様に一般的とはいえません。眼科手術の主流は、より深襲の少ない手術へと変遷しています。

レーザー近視矯正手術は、使用するレーザー機械の種類によって細いビームを走査して削る方法と、太いビームで蒸発させる方法に大別されます。削ったり蒸発させたりすることで角膜の形状を矯正し、近視、乱視、遠視の状態を治すのです。細いビームで走査して削る場合は、後述の如く角膜上皮の厚さを考慮しながらレーザーを当てることが出来ないので、先ずPRKなら上皮をはがすか、LASIKならフタを作ってその中に上皮を閉じ込めてから角膜実質を削ります。LASIKではフタを作成する為痛みが少ない、治癒が早いというメリットがあり、瞬く間に全世界に広がりましたが、同時にフタを作成する為に様々な合併症が問題となってきました。

例えば、ロンドンのウィリアム・ジョリー医師は、レーシック後遺症に次の様な警告 (角膜拡張症)を発しています。550マイクロンの厚みのある角膜に、160マイクロンのフタを作ってレーシックを行った場合、近視度−4Dなら角膜実質を更に50マイクロン削らなければならない。近視度−7Dなら120マイクロン削ることになる。−4Dなら角膜強度が38%弱くなる。−7Dなら角膜強度が51%弱くなる。

従って、全てのレーシック患者の角膜実質は大なり小なり脆弱化により将来における術後の心配の種をかかえることになる。現にレーシック生みの父、パリカリシス医師自身 (ギリシャ)ですら最近はフタを作るレーシックから、上皮のみを剥がす方法にシフトしている次第である。
Journal of Refractive Surgery」 Volume20 Number3 May/June 2004 P286
 Coneal Ectasia After LASIK  William Jory, FRCS(C), FRCOphth London, Englandより

角膜は構造上、ミルフィーユケーキ状で、クリーム、パイ、クリーム形態の層状になっています。角膜は上皮(上皮基底膜)、ボーマン膜、実質、デスメ膜、内皮細胞の如く5層になっています。一番外側の上皮は厚かったり、薄かったり、濡れ目であったり、乾き目であったりして、エキシマレーザーの照射量の把握が困難です。

細い点状や面状のエキシマが走査する方式では、エキシマが層状にしみ込んでいく有様が見えません。

しかし太い立体エキシマを使用するフィヨドロフ式PRKは、上皮がクリーム状に溶けるのが判別できます。次に上皮基底膜にビームが到すると、パイ状で組織が密なので、太いビームの立体エキシマが当たるとビームが収束して見えます。又、次の層であるボーマン膜にビームが当たると再びクリーム状に蒸発します。

上皮が厚かったり、濡れていれば照射数をリアルタイムに追加する必要があります。PRKLASIKでは走査エキシマによって角膜を削ると表現しますが、フィヨドロフ式PRKでは角膜を表面から蒸発(蒸散)させると表現します。角膜の表面は細かい個々の凹凸があり、そのヒズミは通常水晶体や、脳により微調節されています。エキシマ走査により出来上がる角膜の偏平化部分を、光学的にレンズとして捉えると、矯正量が多くなるほど色収差やレンズ収差の問題を伴い、現在WAVE FRONT(光を波状にとらえ視力を得る)理論に基づくカスタムアベレーション(オーダーメイド矯正)が急務とされています。

フィヨドロフ式PRKは、太い立体エキシマにより、凹は凹なりに凸は凸なりの立体的蒸発がおき、カスタムアベレーションに通じます。結果的に多焦点レンズが得られ、老眼が早まることも無いようです。

費用に関しては、フィヨドロフ式PRKLASIKIntraLASIKは残念ながら高価です。

フィヨドロフ式PRKは太いビームを得るためのレーザー発生装置が高価です。INTRALASIKは、レーザーカンナ装置が高価です。LASIKでは刃のカンナが一眼毎に使い捨てにすると100ドル程の負担になります。一枚の刃を数回使用した場合の論文が最近発表されました(「Journal  of  Refractive  Surgery」 Volume20 Number3 May/June 2004 P261 より)。刃こぼれがおきるようです。


1枚の刃を1回のみ使用した場合

1枚の刃を数回使用した場合私自身がRKを受けて21年が経過しましたが、今後共更に負担が少なく、より効果的な方法の開発を目指します。




          エキシマレーザー光線手術

PRK
角膜の上皮は厚かったり、薄かったり、濡れていたり、乾いていたり様々なので、データが読みにくいのです。そこでまず除去する処理をします。
その後に細いエキシマレーザー光線を走査して角膜を削り、平らにして光を曲げる性質を弱くしてやります。
LASEK
上皮ををじゅうたんの如く丸めて置いてから、細い走査エキシマで角膜を削り、その後、丸めておいた上皮を元に戻します。
LASIK
上皮を角膜のふたの中に閉じ込めてしまう。ふたはカンナを掛けて作り、どけておく。土台を細い走査エキシマで削り、ふたを元に戻します。
Intra-
LASIK
レーシックのふたを、レーザーかんなを使用して作るので眼球に圧力がかからない。網膜剥離や出血のリスクが少ない。レーザーで作ったふたをどけて細い走査エキシマで削り、ふたを元に戻します。しかし、ふたを作るので土台は弱くなります。
フィドロフ式PRK
上皮を気にしないでよい。細い走査エキシマでは角膜上皮への光線の到達度を観察することが出来ない。太いエキシマレーザー光線を照射する場合は、上皮に対応しながら角膜を蒸発させることができる。角膜はお菓子のミルフィーユケーキ状に層をなしている。上から上皮はクリーム状に、次の層の基底膜はパイ状に、そしてボウマン膜や実質層と深度を増していく。
太い固まりの光線がクリーム部に当たると、ファーっと雪解けの如く溶け、パイ部に当たると光線が収束してゆっくりと蒸発する様が観察できる。一方細い光線を走査して削ろうとした場合は、上皮を捉えることができないので、データーを加減して矯正精度を高めることが難しい。術中に涙の分泌が多い例でもフィヨドロフ式PRKなら通常200発でクリームの溶ける“ファーッ”が認められるのに“ファーッ”が300発で認められる場合は、涙過多分として100発を加算する必要がある。そうでなければ100発分の矯正不足が生じてしまう。


声にならない声を届ける

体験談 山中登志子 

元週刊金曜日副編集長 「買ってはいけない」編集

0.03だったわたしの視力はPRKの手術で1.0以上になりました。手術を受けたのは2000年。いまでは視力が悪かったことを忘れてしまいそうです。視力が回復するとみなさん積極的になるようですが、奥山公道院長いわく、わたしは「積極さに磨きがかかった」とのこと。いままで見えなかった、見てこなかった社会があれこれと見えてきて、これも手術効果かしらとよろこんでいます。

 編集者をかれこれ15年近くやっています。消費者問題などに興味があり、1999年に『買ってはいけない』を企画&編集&一部執筆しました。カップラーメン、ビール、パン、合成洗剤など業界大手、CMなどで露出度が高い、誰もが目にする”おすすめできない”ものを89商品ほど紹介し、愛情を込めて67社の企業に送ったこの”ラブレター”本は200万部に迫るベストセラーになりました。その執筆者のひとりでもある船瀬俊介さん(RK体験者)から近視手術の話を聞き、奥山院長にインタビューしたことが手術を受けるきっかけとなりました。「近視は病気」という発想すらありませんでした。

こんなありがたい治療が近眼人口4000万人のこの国で普及しないのはなぜだろう。そんなことを調べていくうちに、わたしも切らずに治す近視手術レーザー治療を受けたいと思うようになりました。

1998年3月、近視手術のパイオニアといえるモスクワ・フィヨドロフ研究所を訪問しました。「近視手術体験記 さようならメガネ&コンタクト」と題した同時進行ルポの連載執筆もしたのですが、それは自分のことだから自分の眼で見て、聞いて、そして決断したいという思いから、また自分の体験記を通して、近視に悩む患者に近視を取り巻く日本の実態(産・官・学・マスコミ)を伝える必要性を感じたからです。

『買ってはいけない』も同じです。消費者のためになることをマスコミは伝えていないというのは、近視手術をとりまく環境とまったく同じです。当時、わたしが言われ続けたことは「だったら、何を買えばいいの?」でした。そして、そのひとつの答えとしてインターネットオンラインショップ「通販あれこれ」を5月にオープンしました。

たとえば牛舎での密飼いが日本酪農の主流です。CMなど広告で見かける放牧牛は”タレント”牛です。わたしが知る限り、放牧酪農をしているのは岩手の中洞牧場くらいです。そこのエコロジー牛乳には自然放牧家中洞正さんの思想がこもっています。そのほか「脱 電子レンジ宣言!」のスチームオーブングリル、薄毛・細毛・白髪・フケなどの髪を健康にする自然生まれの養毛料プリミーナ(開発まで20年、特許取得)などスタッフこだわりの商品を扱っています。スタッフが探し出した選りすぐりの商品を紹介するとともに、こだわりを持った人たちもどんどん登場します。これらのこだわり通販商品からわたしたちが暮らす世の中があれこれ見えてきます。世の中、見わたせばまだまだこまった商品だらけです。世の中、おかしなものが流行ればおかしな社会に、すてきなものが流行ればすてきな社会になっていくと感じているからです。インターネットご利用の方は「通販あれこれ これは事件です!」をのぞいてみてください。http://www.rakuten.co.jp/arekore/

 いま、大事にしていきたいと思っているひとつに「日本国憲法」があります。日本のもっとも基本となる法です。小泉首相が昨年末、イラクに自衛隊を派兵する根拠を日本国憲法前文に求めました。記者会見で前文を読みあげるのを聞いていて、そういえば「憲法、憲法」というけれどわたしもじっくりふれたことがないことに気づきました。そこからスタートしなくてはと思い、『読む日本国憲法』(現代人文社http://www.genjin.jp/ 1260円)を企画・編集し出版しました

「高校生が撮った日本の今」23枚の写真とともに憲法全文を大きな活字で掲載し、憲法公布の1947年8月、文部省が発行した中学1年生の社会科教科書「あたらしい憲法のはなし」をそのまま本書で復刊しました。「戦争の放棄」では、「(略)日本は正しいことを、ほかの國よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。(略)」とあります。いまほど「日本国憲法」を読む力が必要とされている時代はありません。憲法論議の前にまず、読むことからはじめたいと思います。


2度の奇跡体験 体験談 釣谷 千登勢

「背中が痛くなったら気をつけなさい。」

奥山先生のこの言葉で私の命は救われました。

 私は96年に左目をRK、右目はPRK手術を行いました。私の場合普通の近視ではなく、「マルファン症候群」によるものでかなり強度の近視(弱視)でした。マルファン症候群」とは、遺伝子の変異によって、骨格、肺、目(水晶体の偏位または亜脱臼)、心臓、血管などに症状が出る疾患です。発症頻度は一万人に一人の割合とされ、珍しい病気です。

術後8年経過した今は両眼とも視力も安定し、支障なく日常生活を送っています。結婚3年目を向かえそろそろ子供のことを考えていましたが、「マルファン」のことが心配で昨年の定期検査の際、奥山先生に相談をしました。先生は医学書を片手に「マルファン」について説明してくださり、遺伝に関しては専門医を訪ねたほうがよいとアドバイスをしてくださいました。そして最後に「この病気は中高年で動脈硬化を発症するケースが多い。背中が痛くなったら気をつけなさい」と。

そのわずか数日後、先生の言葉が予想を的中させるかのように私の背中に激痛が走ったのです。一人自宅で夕食をとっていると突然、息が苦しくなり胸に激痛が起こりました。あまりの痛さに横になろうとしたその直後、背中に激痛が起こりました。その時、数日前の先生の言葉がよみがえり、まさかという思いと同時に、這うようにして電話のそばへ行き救急車を呼びました。「急性大動脈解離」心臓から伸びている大動脈血管が裂ける病気でした。私の場合心臓からすぐの大動脈が裂けた為、病院に運ばれた時はかなり危険な状態で、すぐ緊急手術が施されました。手遅れになると死に至るケースもあるとの事。成功率2割と告げられた手術も無事成功し、一命を取りとめることができました。担当医も「よく冷静に自分で救急車を呼べましたね」と驚いていました。今ではすっかり回復し、手術前と変わらない生活を送っています。もし、奥山先生の言葉を思い出してなかったら、私は生きていなかったかもしれません。

私は奥山先生によって視力を回復しただけでなく、命まで救われるという2度の奇跡を体験しました。出産に関しては大きなリスクを抱えてしまいましたが、今は自分の健康を大切にしていきたいと思います。


白内障と緑内障

手術後の患者さんによく質問されることがあります。「近視矯正手術をした後に白内障の手術ができますか?」 又、手術前後の検診で先生から頻繁に聞く病気「緑内障」。

その2つについて説明します。

白内障

眼球の前の方に水晶体という透明なレンズがあります。そのレンズは外界の景色を、眼球の最も後ろにある網膜に像を結ぶ重要な役割を持っています。材質は生卵の白身と同じような成分と考えてください。その水晶体のたんぱく質がなんらかの原因で白く濁ってきた状態が白内障です。原因で最も多いのは加齢により細胞の老化がおきる老人性のものが断トツです。その他まれに膠原病、肝臓疾患などで副腎皮質ステロイド薬を長期にわたって使用していると副作用で白内障が起きることがあります。

いったん濁ってしまった水晶体をもとの透明な状態に戻すことはできません。濁る前に予防する、進行を食い止める、あるいは遅くするという意味で点眼薬や内服薬が用いられることはあります。しかし日常生活やお仕事で不便を感じられるようになったら、手術には合併症もあることをよく説明し、内科的に問題が無ければ手術をお勧めします。

RK、レーシック・フラップレス後でも白内障手術を受けることは可能です。しかし、白内障手術には近視手術を受ける前のデータ−が必要な場合もありますので、検診の際にご相談ください。

緑内障

 眼球の硬さを眼圧といいます。検査の際に「プシュッ!」と空気の弾のようなものが当たる検査で測定します。眼圧は眼球の中の房水という液体によってコントロールされています。この房水は毛様体というところで作られていて、眼球内で一定の量を保つために常時シュレム管という管から排出されていますが、このシュレム管が狭くなったり、毛様体での房水の産出量が多くなると眼圧が上がってしまいます。眼圧が上がると眼球内の視神経や網膜に圧迫が加わり、視野が狭くなったり、視力が下がったりします。これが緑内障という病気です。また、眼圧が正常でも、従来と同じ病変を呈する正常眼圧緑内障もあります。

 症状としては、急性の場合極度の視力低下に加え、眼痛、頭痛、嘔吐などが急激に生じますが、通常ですと視野が狭くなることと、視力の低下ですが、あまりにもゆっくりと進行するので気づかない場合がほとんどです。

現在、当院では将来白内障等の症状が出たときのために、友の会手帳の最終ページに追加データーを書き込んでいます。診察の際には手帳を忘れずにお持ちください。



手術から半年たって  体験談 千種

私は昨年の8月に右眼、一週間あけて左眼の手術をうけました。今では、左右ともに十分すぎるほどの視力が得られています。

さて、現在とても快適な生活を送っていますが、手術後7日間ほどは痛みや見えにくさが気になって、家事や育児がままならず、少々不便でした。どのような痛みかと申しますと、ハードコンタクトレンズ装着時にゴミが入ってしまったような感じとでもいいましょうか、とにかく異物感とそれにともなう涙、涙、涙…。加えて、鼻水も止まらず、まるで花粉症の時のように、ティッシュが手放せない状態でした。痛み止めの目薬をさし、短時間に食事の支度、洗濯といったように、目薬と家事はつねにセットでした。また、術後はぼんやりと霧がかかったような見え方なので、極力包丁は使わないように、油はねも怖いのでフライなどは避けるようにしました。まぶたにタオルのような柔らかいものが触れただけでも痛みがあるので、家の中でもサングラスをかけ、しばらく過ごしていました。以上、不便さばかりを強調してしまいましたが、1週間を過ぎたころから、遠くの木々や木の葉の11枚、看板の文字やテレビが少しずつみえ始めます。そして8週間ほど経過すると、新聞や雑誌の小さな文字も問題なく読めるようになりました。この頃には、当初の不便さなどすっかり忘れてしまっていました。

以前は生活必需品だったたくさんの眼鏡たち、そのすべてはサングラスに生まれ変わり、季節にあわせファッションの一部として活躍しています。また、アイメークも映えますよね。「お母さん、眼鏡もいいけど今のほうがもっといいよ。」という娘たちの一言。そして何より、眼鏡のわずらわしさや片頭痛、肩こりなども解消され、思い切って手術をうけて本当によかったと感じています。

参宮橋アイクリニックの先生をはじめ、スタッフの皆様、ありがとうございました。


編集後記

友の会より 

手術後3年以上経過した方は会報が有料となります。郵便振替にて300円をお振込み下さい。 001701168199 日本RKPRK友の会 まで。

LASIKの危険性や、後遺症等の学会発表が海外で数多く出てきています。詳細は当院ホームページ にて。

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