屈折矯正手術の歴史(日本関連事項)
日付
|
内 容
|
1939
|
佐藤勉博士、近視手術の動物実験について発表(日眼)
|
1981.10
|
桐生 臨床眼科研究所、百瀬皓博士、RK手術開始。
|
1983. 6
|
東京 参宮橋アイクリニック、若山久博士、フィヨドロフ式RK手術開始。
|
1984. 4
|
RK手術患者の会発足(日本RK友の会、会長 須田八重子)。
|
1985. 2
|
筑波万博ソ連館でRK手術が紹介され、反響を呼ぶ。
|
1986. 1
|
旧ソ連が「手術による近視治療ツアー」募集。
|
10
|
米ソ「近視手術ツアー」宣伝競争過熱。
|
1988. 6
|
フィヨドロフ教授来日。RKのウエットラボ開催。
|
10
|
二デック社、屈折矯正エキシマレーザー商品化開始。
厚生労働省のエキシマレーザー医療器械の治験始まる。
|
1989. 5
|
運輸省RKパイロットを禁止する。
|
1993. 5
|
屈折矯正手術の適応案(日眼への第1次答申)。主としてRKについて(所敬教授他)。
|
6
|
第20回東京多摩地区眼科談会で「角膜屈折矯正手術についての勉強会及び、日本眼内レンズ学会」から、「日本眼内レンズ屈折矯正学会」への改名宣言。
|
9
|
日本眼科医会が条件付で近視手術にゴーサイン。大阪でRK手術集団訴訟。
|
1995.10
|
屈折矯正手術の適応案(日眼への第2次答申)、主としてPRKについて。
|
1996. 2
|
巨人軍 槙原投手のLASIK騒動。
|
9
|
「近視矯正手術の現状と課題」発表(日本眼科医会)。
|
10
|
「近視手術は現時点では問題が多い」と警告(日本眼科医会)。
|
1997. 7
|
テレビ朝日、ニュースステーション「近視手術の特集」放映。
|
1998. 8
|
「近視が治る」日本医師会提供、日本テレビ放映。
|
2000. 1
|
屈折矯正手術用エキシマレーザー装置を厚生労働省が承認。
|
2000. 2
|
「近視の最新治療」日本医師会提供、日本テレビ放映。
|
2000. 6
|
InternationalSociety of Quality of
Vision(ISQOV)発足(木下茂会長)。
|
2000. 7
|
エキシマレーザー屈折矯正手術ガイドライン(金井淳教授 他)。
|
◎RKの本邦への導入に当り、以下の点に留意しました。
(1)近視手術は我国で不幸な歴史を持っていたので、まず自分及び家族が治療体験した。その後、長期的な安全効果について学会発表を通じ情報公開した(文献5)。
(2)近視手術は、眼科専門医が更に角膜屈折矯正術を研修し実施すべくフィヨドロフ博士主催のセミナーヘの紹介に努めた。
(3)近視手術のQCの為、手術を受けた患者による友の会を結成して貰い、術前後のデーターを主治医が開示するシステムを作った。
(4)屈折矯正術による合併症対策としての後方医療施設確保。フィヨドロフ研究所の全面支援が得られた。
◎ 低侵襲近視矯正術
低侵襲手術が主流となり、屈折矯正手術は日進月歩をとげています。IOL挿入術も小切開創、非縫合により角膜乱視合併症例が減少し、RKと共に開発されたAKの出番が減りました。RKもエキシマレーザー使用のPRK・スーパーPRK・LASIKへと変遷しました。RKによる屈折矯正過不足(文献7)、PRKによる乱視矯正不足(文献8)、PRKの矯正精度不足とその原因となる角膜上皮下混濁(ヘイズ)、LASIKによるケラテクトジアの可能性に対して筆者は様々な工夫をして参りました。フィヨドロフ式PRK(文献6)は太い三次元ビームをガウス分布で照射し、立体的に角膜蒸散が得られる方式です。蒸散後の角膜実質面が多焦点レンズ状を呈するので視光学的に有利です。究極の角膜屈折矯正術はイントラLASIKを経て、フェムト秒パルスレーザー(文献10)を使用した、イントラRKを成就するかもしれないのです。ちょうどエキシマレーザーでRK切開を加える試みから、角膜中央部蒸散へ移行したベクトルの正反対です。
文献
(1)佐藤勉、柴田博彦、秋山晃一郎:近視に対する角膜表裏両面切開について。
日眼 56:1137−1141、1952(昭和27)
(2)井上治郎:近乱術後12年を経て起きた水疱性角膜炎の1例
眼臨、59:38-40、1965(昭和40)。
(3)Fyodorov SN. Durnev W: Operation of
dosaged dissection of corneal circular ligament in cases of myopia of a mild
degree. Ann ophtalmol 1979;11:1185−1190
(4)日本の眼科:第57巻 第6号 76p 1986(昭和61)6月
(5)奥山公道:RK後15年の経過。
第22回 日本眼科手術学会 講演抄録集206p 1999(平成11)。
(6)A.D.Semyonov, K.Okuyama,
others: Photoastigmatic Refractive Keratectomy with the "Profil-500" for
Correction of Compound Myopic Astigmatism. OPHTHALMOSURGERY No4'2000
(7)A.D.Semyonov, K.Okuyama, others: Specific Features of Clinical Course
in Photoastigmatic Refractive Keratectomy with the "Profil-500" at Different
Terms Postoperatively. OPHTHALMOSURGERY No1'2001
(8)鈴木聡子、河尻幸利、奥山公道:エキシマ手術後の乱視切開術 第18回 日本眼科手術学会 講演抄録集187p 1995(平成7)。
(9)奥山公道:実技角膜屈折手術 南山堂 1997(平成9)
(10)奥山公道:近視手術の前にゼッタイ読む本 リヨン社145−158p 2001(平成13)
(11)奥山公道:熱形成遠視矯正手術(ITK)6年目の1症例 眼科手術 第10巻第2号 1997年4月
別刷請求先 奥山 公道:〒141-0022 東京都品川区東五反田1-2-15 ティアラ島津山 201 参宮橋アイクリニック
PRK手術を受けて
保育士 S・A
2002年、2月新大阪の鈴木眼科クリニックにてPRK手術を受けました 保育士なので職業上時間の融通は多少ききますが、まとまった休みが取り辛く半ばあきらめていました。
しかし、子供の父兄で手術を受けた方から参宮橋アイクリニックを紹介していただき、連休で休みが取れるとあって、思い切って主人共々手術を受けることにしました。
手術前の検査は多少緊張しました。特に主人は最強度近視と、かなり強い乱視のために本当に治るのかどうかとても不安でしたが、先生をはじめ検査をしていただいた職貝の方が色々疑問に答えて下さり、安心して何となくワクワクしながら新大阪へ向かいました。
集合の後、薬の説明、最後に先生からの手術の注意事項を聞いた後に、手術が始まりました。順番が来ると緑色の手術着を着せてもらい、手術室に入ります。すると前の人の目にレーザー光線が当っている様子をモニターで見ることができます。あっという間ですが全体的な手術の流れが分かり、自分の番ではかなり緊張がほぐれました。私自身は中等度の近視と乱視がありましたが両眼で2分位だったと思います。
そして職員の方に心配されて何度も説明を受けた帰りの新幹線も余り問題無く、むしろ楽しく帰れました。なにせ本人は両眼を手術し、主人の片眼を頼りに手に手を取り合っての旅行ですから、回りの方には何事か?と思われたのではないでしょうか。とにもかくにも無事自宅に到着し、疲れもあってか睡眠導入剤も服用せずに熟睡してしまいました。
翌日からは説明を受けた通り、目が開けにくく、何かをしていないと収まらない程度の痛みがしばらく続きました。主人は片眼で、2日後から仕事を始めていたため、痛みをさほど感じていないようでしたが、私は両眼手術をして、家でじっとしていたため、目のことばかりを考えてしまい、目を閉じれば異物感、開ければ眩しく涙がポロポロという状態が3〜4日続きました。その間は物がボーツと霞の中で物を見るような感じでしたが、5日目の朝起きたときに5mくらい先のカレンダーの文字が目に飛び込んできました。近くは言われた通り二重に物が見え、非常に見にくかったのですが、それも1週間、2週間と日を追うごとに読めるようになってきました。主人も眼鏡を外したためか顔付きが随分変わり、早くもう片眼の手術をしたいと言っていました。
私も眼鏡やコンタクトレンズの煩わしさから解放され、今年度から年長クラスの担任になり、保育にも十分力を入れられそうです。
PRK手術を受けて 保育士 K・N
2002年2月と3月に、主人の友人の紹介でPRK手術を受けました。その方はRK手術というメスで角膜に切開を入れる手術をされたそうで、「それはいやだなあ」と思っていましたが、現在は目に指一本触れずに30秒くらいで手術が終わると聞いて、長年していたコンタクトレンズに非常に不便を感じていたし、保育士という仕事柄眼鏡をかけていると仕事ができないため手術をすることを決意しました。
検査中は「手術ができるかなあ」という思いと、眼に触れる検査が何種類かあったので非常に緊張してしまいました。又、「普段あまり目のことを考えていなかったんだなあ」と反省しました。
手術は軽度近視ということもあり、30秒かかるかかからないかのあっという間に終わってしまいました。帰る時は興奮と緊張とで、迎えにきた主人の車の中で震えていたそうです。家について睡眠導入剤を飲んでも寝つかれず、痛み止めの点眼薬を子守と家事をしている主人にさしてもらいながらずっと横になっていました。
翌日もゴロゴロした感じで目を開けることができず不安でしたが、検診で異常無くきれいだと言われ、安心してその日はぐっすりと眠ることができました。
週明けまだボーッとしか見えない片目と、コンタクトレンズを入れた片目とで仕事を始めました。レンズが入っている眠が非常によく見えるので、手術した眼に不安は感じていましたが、仕事をしていないとなんとなく感じる異物感も仕事中は忘れられました。
手術した眠がスッキリと見え始めたのは手術して5日日でした 新聞の文字などはかなり目を凝らさないと見にくいのですが、遠くの看板の文字や景色などがくっきりと輪郭もはっきり分かるようになりました。主人は目が良く、視力は1.5と1.5なのですが、「あの電柱に書いてある文字見える?」と聞かれたときに、すらすらと言うと非常に驚いていました。
もう片方の目は手術した目が近くも見やすくなってからしました。今回は前回の経験を生かして落ち着いて準備万端で手術に望めました。両目でレンズ無しにハッキリと物が見える世界をもうすぐに体験できると思うと、仕事や家族に対する考え方も変わるような気がします。
親愛なる奥山先生
長い間私は、レーザーによる近視治療をためらっていました。しかし、先生に初めてお目にかかったとき、十分な確信が得られ、即座に手術を受ける決心がつきました。
後日、私の決断は正しかったと感じています。視力は以前に比べて数段良くなり、もうめがねの必要はなくなりました。さらに近くまで行ってテレビを見ることもなくなりました。
この手術をきっかけにして、私と奥山先生の間に生まれた友情は、私が日本を離れシリアに戻ってからも永遠に続くことを祈っています。
モハメッド カブール 前シリア大使
レーシック、レーシック・フラップレス等近視矯正手術の最新情報をお届けする近視手術友の会のホームページ |